「愛は捨てない」という詩について
「愛は捨てない」という詩が生まれました…。
人は愛を捨てれるのでしょうか…。愛の中に育まれ、愛の中に生まれ、万物すべてが愛によって生み出されるこの世界の中で、それを捨てることはできるのでしょうか…。
私はいつもそれを感じます…。
愛など無いと言う人がいますが、それは不可能です。誰もが、あらゆる生命が、あらゆる万物が一体の愛の中にひたっていて、そこから生まれていて、ひとつなる愛によって創られた世界に存在しています…。しかし、ただそう想っていないだけであり、それに逆らえると信じているのは人間の自我であり分離感です。
ある意味では、分離は生きる上で役に立つこともでき、それ自体は決して悪いものではなく、それぞれの個性を活かすものであったのでしょう…。今やその分離が恐れとなってしまい、人類は愛の現れであるという真実を忘れ、その気づきを失い、それゆえに安心感を失い、正義を失い、腐敗してしまっています…。
しかしなお、愛の中でそれをしているのです。それを仏の中に、または神の手のひらの中にあるという表現を目覚めた人はします。私は宗教のことに詳しくはありません。興味もないのです。しかし、その根本はそこにあるのかなと感じています…。
未知で神秘、色即是空のような世界でありますが、それは神の手の中にあります。仏の手の中に、愛の手の中に、言葉はなんでも良いのです。すべて、一体である愛の中に育まれている…。それを捨てることが出来るのでしょうか。どうやって捨てるのでしょう。その中に永遠に入っていて、すべてがそれによって出来ているのです…。ただ気づいていないだけで、そう生きずにいるだけに過ぎません…。
ですから古代のこの国では、森羅万象すべてが神の中である、一体であると伝えてきたのでしょう…。
それを学ぶために、世界中から賢き人々が集まりました。眼の開いた人々がそこへ学びにつどったのでしょう。
なぜなら、それが一番幸せであるし、それこそ真の宗教性であり、その幸せから正義が貫け、それが一番愛を捨てないで済み、愛を捨てるというような生き方をする必要がなく、本当の自分、本質で生きれるからです。そして本質へ帰る様々なアイディアやテクノロジーが、地上でも今も生まれ続けています。あらゆる愛のある、正義のある人々が、どうやったら人類がそちらに向かい、気づき、幸せな世界を生み出せるのか、と必死に生み出そうとしていることでしょう。世界中にそのような美しきリーダーが沢山いることを切に願います…。
どんなときにも、どんなに苦しみの中においても、私達はその愛の中に住んでいます。それによって生み出されました。父母たちもそこから生み出されたのです。 そしてそれがどんなにケンカや戦いや分離を信じたように見えていても、彼らもまた、それそのものではないのです。それは妄想で、やはり誰もが目覚めぬままで、愛の中に住んでいるのです…。
あらゆる人がその中に住んでいて、愛と気づいていないだけかもしれないのです。私達はそこから生まれ、それに生み出されているのです…。悪魔などというものは一切ありません。悪魔を崇拝するというのは、ごまかしです。自分は神の子でもない、愛の子でもない、愛の一部でもない、愛が生み出したものでもない、だから悪い事をしても安心だ、悪いことをしても罰は当たらないという言い訳にすぎません…。
先日、素晴らしい言葉を聞きました。
「言い訳は口答えだ」ある意味、愛を捨てたと言っても、それは神への口答えに過ぎません。万物への、愛への…。そして、そこから出ることなど不可能なのです。
永遠にあなたは愛のまま、決して変わることなく、その中で暮らすのです…。
MARTH
2019年3月19日
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