それでも世界は愛でできている
Q:MARTHさん、私はエゴの世界を許したいし、エゴの自分も許したいし、分離を信じたこの世界全体を許して生きていきたいのですが、どう思われますか?
MARTH:分離してしまった社会、またこの分離を信じてしまった人間界、そのようになってしまったこの世界を許して生きてゆくというのは、大切です。自分の安らぎのためにも、他の人々の安心のためにも、とても大切なことでしょう…。
しかし、問題はそのことではないのです。
真の問題は、神の子である人類が、分離という妄想を信じて生きてきたとき、目覚めさせようと万物はたぶん必死にメッセージを送ることを、科学的にも本当にしないのか、ということなのです。
私は長き日、“自分を観る”という気づきのセミナーのトレーナーをしておりました。そして何十万人という方たちをサポートする中、気づいたことは、人間は自我の妄想に入った本質でなくなった自らを、万物の仕組みとして決して許さないのではないか、修正しようと必死にするということを、現場ゆえに気づきました…。
どんなに自分を抱きしめるよう伝えたり、自分を愛すること、許すことのワークショップを試みようと、また家族を愛すること、腐敗してしまった世界を許すことを試みても、また、そのような詩まで創りましたが、人類は分離した自らを決して許さないのです…。突き詰めてゆく中、私にはそれは偉大なる愛の仕組みであると感じるようになりました。
人は本質へ向かうということが絶対的宇宙的使命であって、決して分化してゆく愛(神)の化身たちを許さないのだなとつくづく今では感じています。長年、現場で汗と涙と鼻水でボロボロのハートを抱きしめて、本当の想いを伝え合う人々の中で生きた者の、人間の本質に代々ずっとたずさわってきた者の、また量子力学のような科学の理(ことわり)と共に感じる、人生での正直な感想です…。
この一体の世界、真我、いや、真の自己、なんと呼べば良いでしょうか。創造の主体、万物、愛、その一者たるものは、またその大切な子どもであり、その一部分である人類は、そこからそれぬように守られるゆえに、一体であるという事実のもと、素粒子が生まれ、原子が生まれています。それによって、分子ができ、人となっています。一体の愛の世界であるのに、分離というものを信じるなら、そこに目覚めさせようとメッセージが起こってくるのは、やむなき仕組みであるとつくづく感じるのです。
それゆえに、人類は、決して分離化した自分を許さないことでしょう。愛へ戻そうとするのです。一体へ戻そうと、最善の力を発揮するのです…。
どんな人でも同じで、愛の世界の中で、一体の世界の中で、
素粒子の海の中ですべてが一体である、その美しき世界の中で、決して分離を許さないのです。誰か、イエスのような人が、すべてを許す、人類の罪を許すと言っても、本人が許さないのです。
なぜなら、その人も神の子で、万物そのもので、そちらへ向かいたく、そう生きない自分を決して見逃さないのは、万物自然のありようとして当然なことであると感じます…。
あるとき、外国の方で、禅を学ばれている方が、私にこのようなことを言ってくださいました。波はあるのだ。波を許すしかない。波は存在する。ですから自我、エゴはあるのだ、分離はあるのだ、それを許すことだ、とお伝えいただきました。
私は彼に、波も海だと答えました。自分というのは夢であり、自我(波)というのは名称に過ぎず、それは妄想であり、私達人類を隔ててきた対立の悲しみは、五感や言葉から来る、ひとつの悲しみです。とお伝えしました…。
本来私達は一体物の海であることに決して変わりがないのです。あらゆるものが一体で、あらゆるものが愛で、あらゆるものの本質はその美しきひとつなる何かであるのです。
その気づきある調和された世界へ世界中がまっすぐに強い大きな力で向かっているのです。
しかし残念なことに人類はそのように習ってきませんでした。分離社会の戦いの中で、人間の大きな権力が、力が世界を動かしていると本気で信じて、長く人生を営んできたのです。しかし、本当にこの世界を動かしている大きな力とは、すべてがひとつなる科学的事実と愛だと感じます。
もっと言えば、それでもひとつなる愛の世界であるのだと…。
そして、そう生きれずそのギャップのために、人類が苦しんできたことに、変わりはありません。
しかし、そんな中でも人は、また万物は、愛へ戻そう、戻そう、一体に本当のその人の質に帰らせよう、帰らせようと強い力で試みているのです…。
そう想うと、とても悲しく、切なく、いつの日か、誰もが本当の美しき愛の、そして神の子へ帰れることを切に祈ります…。
MARTH
2020年1月20日
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