レインボーチャイルド 永遠の君 によせて
Q:MARTHさん、レインボーチャイルドという楽曲はどんな想いでお創りになられましたか?
MARTH:今回のアルバムに共通して流れているテーマは、今、世界中の人々が強き自我(分離感)によって苦しんでいます。その強くなった自我(分離感)を失うときに、大きな愛や美しき幸せややすらぎを得るということがテーマであるのです…。これはたぶんこの国に古くからあった古代文明がどのような価値観をもっていたのかといったことときっと同じテーマでもあるのでしょう…。そしてなお、その当時の科学は現代で言う量子力学に非常に似たものであったと私は感じています…。
私たちは分子である肉体を自分と信じてきました…。
しかし古代の民は、現代では素粒子と呼ぶような未知で
神秘なるものこそ、本当の自らであるととらえていました。
彼らの科学技術水準は非常に高く、自然界と共に在って、それは原子レベル、素粒子レベル、要はフォトンレベル、電子レベルにとても精通した文明であったのでしょう…。
そして、私の一族のルーツは淡路島という日本の地の空海という僧が開いた寺でした。昔はそれは、八幡神社と呼ばれるものと一緒になっていたそうです…。その地に伝わる伝承も含めて、大切なことは日本の民は、ヤーと呼ぶ、名前もなく地位も名誉もなく、ありとあらゆる言葉に属さない、とてつもない創造の主といえるような何かを、この世界を創っている主体というようにとらえていたと想われるのです。
その万物創造の本体は、この世界を創造する力、まるで私たちが夢で見るように、想念によってこの世界を創る力を、要は量子力学が発見したように想念が物質化する力を持っていると、古代の人は感じていたようです…。
そして、なぜ私たち人類がその万物創造の主体の子供と呼ばれているのかと言えば、私達人類は、小さな範囲ではあるけれども創造する範囲を許されている…ということにほかならないのでしょう。そして私達が、本当はひとつなる一体の世界で、その誤った分離や自我を信じ、それらを強め続け、それによって苦しむとき、それは五感の影響や、言葉(分ける・分かる)の影響によって、自我の恐れになってしまわぬように、とても気をつけて言葉や五感を使わなければならないということが見えてきます…。
逆に言えば、本当は一体である、ひとつである、とわにその万物そのものであるということがしっかり認識された上で、それぞれの強き個性や特徴を持って、それを活かし、それぞれの役目を担うことはなによりです。また、それぞれの美しさや、その素晴らしき個々の能力を活かし、共に人々が力をあわせてゆくという美しき世界は、本来の、この地上の楽園を創ってゆく最大の法則であるのではないかと感じてなりません…
MARTH
2019年11月11日
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