人類が何を求めて望み、生きるのか:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

人類が何を求めて望み、生きるのか

MARTH
公開日:2020-03-29 14:55

Q:MARTHさん、今大変な状況に、世界はなっています。

悪い人たちに私達は支配され、人口削減されたり、奴隷にされたりしてしまうのでしょうか。どう思われますか。


MARTH:まず大切なのは、私たちが今までなにを求めて、そして何を望んで、生きてきたのかということではないでしょうか…。神々の一部である、また天の一部である皆さんが、その源である万物に、また真我に帰り、至福の中で生きることこそが望みであったのなら…。そして、真我が望む、神が望む、万物が望む、一体の愛が望む、ひとつなる素粒子の海が求めるそのような仕事をして、そのような人々と、そのように暮らしたいともし深く思っていたのなら、そのような価値観と違う価値観を持った方々に支配などされるのでしょうか…。きっとそのような一体の愛の安らぎではなく、分離や戦い、競争、比較の中、人に勝てるぞ、偉くなれるぞ、他のヤツより抜きに出れるぞ、えばれるぞ、安全になるぞ、すごくなれるぞ、という悲しき自我(分離)ゆえの比較の生を求めていたならば、そのように自らが一体の世界を見余って分離の観念を持ち、すべての事柄を自己の拡大から求めているのなら、価値観の全く異なるはずであったそのような方々からの支配が可能になってしまうのではないでしょうか。

要は、自らが純粋な仕事、純粋な生き方、素朴な生、一体性の喜び、愛、本質からの至福を、またいつの日か真我に帰ることは素晴らしき生を生きることでもあり、すべては天が、万物がもうすでに与え尽くしているものであることでしょう。

それゆえに、愛へ帰ること、その中で日々過ごすこと、神々の中に帰ってゆくことを、そのような地上で、この世界でそのようなものを貫いて生きてゆこうとしていたのなら、その、あなたがおっしゃる悪い人と言う人々は、分離感のないあなたを支配できたのでしょうか。

あなたはそのような分離した人生を求めていないのなら、分離から自分を突起させたり、勝つ人に、バカにされない人になりたいなどと思ってはいなかったのではないでしょうか。負けることもでき、他の人々を勝たせ、恥かくこともいとわず、分離や戦いや競争や比較を捨て、本当は一体物である大切な友と生き、抜きに出ることやバカにされないことや、ざまあみろや、おれは強いのだ、勝っているのだ、そのような悲しき分離を求めたでしょうか。また地位や名誉、学歴、資格がほしい、そのような分離の価値観の方々からモテる、ほめられる、すごいと思われる、だからお金がほしい、もう二度とさげすまれないぞ、そのようなものを欲しがる野心を自らがもし持っていなかったら、自我の強き念望を持っていなかったら、誰かがそのような自分のことを引き寄せ、支配できたのでしょうか。

また、真実はそのようなことを望まなき時も、美しき真の異性、豊かな自然界の美しき食、空気、水、人生はもうすでに万物から与えられているのです。自らがそのような美しき万物から分離した自我の高揚、自己の拡大、自我の保全をほしいと思ったからこそ、そのような支配し、殺す人々がもしいるのなら、そのような人々に支配されてしまうということが、起こったのではないでしょうか…。

本当は、そうなったのは他の人々のせいではなく、私たちが分離の観念に染まり、愛し愛されたい、共に生きてゆきたいと願うことなく、一体である他と見える人々より抜きに出ようとする、やられたくないといった戦いの生を生きたゆえの結果であり、今こそ、そのことに深く気づき、心の底から改め、共に力を合わせ、生きる。美しき生を生き、新たな自我(分離)を越えた美しき真の社会を生み出してゆこうとするとき、真の幸せはそこにこそあるものではないかと感じてなりません…。

一体の世界の中、他と見えるすべてを尊び、ひとつに生きる至福と喜びにあなたが生きられていたなら、あなたはその方向へ向かうことは決してなかったことでしょう。

それゆえに、その答えは、私たちこそが、今こそ、このブレイクダウンから学び、愛や純粋さを求めてこれから先、その愛の中で強く生きるということが、何よりも大切なのではないかとつくづく感じてなりません…。

MARTH
2020年3月28日

お名前: メール:

※コメントは承認後に掲載されます。