人類のまだ知らない科学的本質はあるのか?:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

人類のまだ知らない科学的本質はあるのか?

MARTH
公開日:2020-02-15 02:20

「Q:質問です。

MARTHさんは、恐れや苦しみ、悲しみ、様々なエゴにとっての不都合なものは、消し去ることができるというようにお話しされていました。そのことに大変興味を持っています。お教えいただけないでしょうか。


MARTH:あなたがおっしゃるとおり、自我にとって不都合なこと、分離自己にとって様々なブレイクダウンや問題、また万物からのメッセージも含めてですが、そのような私(自我)にとって不都合なものを許すときに、もっと言えば自我にとって不都合な、様々な起きてくる、嫌だと思うことを気にしない、またはどうでもよい、自我にとっての問題、様々な起きてくることは容認する。そのようなときに、本来万物が持っている素晴らしき至福が現れます…。


エゴにとって、分離した自我にとって問題なもの、不都合なものをあえて許すときに至福が現れてくるのはなぜでしょう…。

それは、私たちが自我ではないからです…。自我というのは分離した世界で習った、ある意味妄想なのです。ですから、自我の問題を気にしないということは、本質・愛・一体性、そのような重要な秘密が背景にあり、そこには誰が気にしていないのか、という大切なアイディアが見えてきます…。


自我の問題を許せるのは、無我だけなのです。自我の問題を平然と見ていられるのは、万物そのもの、神の一部そのもの、真我の一部とも呼んでよい、何と呼んでもよいのですが、本当の真の自己、真の自分、本当の万物と一体な、素粒子そのもの、真の自己からの視座でない限り、自我の苦しみや悲しみを見逃すこと、または容認することはできないのです。

ですから、通常自我化した自分を信じている場合は警戒心が強く、ネガティブであり、本来の自分ではない自我の安全や安定を乾くように求め、朝からその考えでずっと自分を埋め尽くしている、というような状態になります。

そこから人生を生きているのですから、至福が現れることはほとんどないことでしょう。


至福とは、真我、または万物、または無我、または真の自己にあるものなのです。それが、本来の人間というものであり、その真の自己の念望や期待がないときに、至福というものは現れるものなのです…。よろしいでしょうか。

このことに、もっともっと深い様々な気づきをお話したいのですが、それに関しては、限定された安全な空間でしか、お話しできないことも様々あります…。それは、今、人類の科学の観念を遥かに越えているためなのです。


しかし、自我の問題が起こらなくなることは真に可能なのです…。

それは、スクールの中でみなさんにお伝えしていることです…。

それは、私たちが創造の主体の子どもである、またはその素粒子が創造の性質を帯びている、それゆえに、自分の範囲を創造することができてしまうということが、キーポイントになってゆきます…。

MARTH
2020年2月9日


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