平和で愛のある美しい世界を創るには…
Q:MARTHさん、世界は大変混乱しています…。
平和で愛のある美しい世界を創るには、本当はどうしたらよいのでしょうか…。ぜひ、そのことについてお聞かせください。
MARTH:真の平和や、真の愛の世界…真に豊かで、真に繁栄する、真に成功する、みなが望む素晴らしい人生や世界を創るには、きっと一体性への気づきが必要なのです。この世界が、一者の夢のように、創造の主体のひとりの夢のような、すべてが一体で、すべてがそこからできている世界だということに、つくづく人類が気づいたらどうでしょうか…。
他と見える、分子レベルでは分かたれて見えるすべてのものは、実は一体のエネルギーから生まれ、一体の素粒子的なもの、電子的なもの、フォトン的なもの、それゆえに一体なるもので生まれているとしたらどうでしょう…。
他と見えてきたあらゆるものがつながっていて、一体であるというそのような気づきが、すべての人類に共有され、すべての人類が学ぶことができるなら、すべての子どもたちが愛を学ぶことができるのなら、他というものは実は自らであり、すべてが一体である。この未知なる森羅万象の中、他など本当はないのだと気づいたなら…。
若き日、私は深き瞑想の中で、ひとつなるところに何度も何度も帰り続けました。そのときには、すべての人と一体の世界の中に入りました。嫌いだと思っている人すら、その人とひとつなるものと感じました。そこでは、あらゆる人と一体となってしまうのです。
人だけではありません。ありとあらゆるものと一体になるという経験をしました…。死とは、ここへ帰ることなのだなーとも感じたのです…。その時は、自分が誰かを完全に忘れ去り、しかし意識はあったのです…。
この世界が、ひとつなる、一者なる夢であるという気づきをもし誰もが、人類がみな持つこととなるなら、他と見えるものは実は自らであるというように捉えて、それゆえに、本当は自らである他と見えるものを、滅ぼそうとか、支配しようとか、いじめようとか、やっつけようという思いは、消えてしまうのではないでしょうか。
もし、それがないときに人類は愛や平和を本当に得れるのでしょうか。そのとき、競争や比較、人に勝つ、奪う、取る、抜きに出る、ありとあらゆる人類の苦しみ、戦いは止むでしょうか…。
戦いが止まないならば、結局平和も幸せもなく、愛の世界はないのではないでしょうか。そして、それゆえに美しき繁栄や成功、至福の人生や、素晴らしき日々も来ないことでしょう…。
なぜなら、一体であるこの未知なる、このとてつもない素粒子の海で、素粒子と呼んでいる未知なる電気的不可思議な世界で、
一体なるそのものは、ただただ一体からずれた私たちの価値観にだけ、メッセージを送るのではないかとしたなら、人類が、私たちが一体を忘れたり、一体であることじゃない行動を取る時、真我は自らにメッセージを送ることでしょう…。または、真我である自らは、自らにメッセージを送り、正そうとする。それが、真理ではないかと感じてなりません…。
ですから、自と他の価値観におちいり、勝とう、偉くなろう、すごくなろう、抜きに出ようとすることは、破壊や破滅的行為であり、その分離的な価値観から何かをやろうとするときには、人は必ず自らに手痛いメッセージを送るのだとしたら、人はというよりも、素粒子が「一体だよ。一体であるよ。君は愛だ。至福だ。素晴らしき万物の子だよ。そしてみなとひとつなのだよ。」というメッセージを送りつづけるのではないかと想えてなりません…。
人類は今、そのことの深き仕組みをつくづく研究したり、調べたり、量子力学的にも、科学的にも解明していかなければならない点であるのだと、感じてなりません…。
そして、真の平和、真の繁栄、真の喜びや至福というのは、一体に気づいているとき、私など存在しなかった、私は真我だった、一体だった、すべてとひとつだった、私という自我は生まれてもなく、存在もしていなかった、ずっととわにすべてとひとつであった、という気づきの中にこそ、真の安らぎや至福や喜び、本当の幸せがそこにあるのではないでしょうか…。
MARTH
2020年5月6日
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