想念が実現する世界
Q:MARTHさんは以前“恐れは実現する”というようなことをおっしゃられていましたが、そのあたりについて、深く教えていただけないでしょうか。
MARTH:わかりました。それは恐れだけではないのです…。実は、良きことを考えることも、ある意味実現してゆくと言えるのです…ただし、何度もお話ししてきましたが、非常に深い意識、また変性的な意識、そのようなディープな意識のときに、思考は現実化してゆきます。顕在意識、通常人類がそう呼んでいる普段の意識では、さほどシディ的力は発揮されません…。非常に深い不安とか、非常に深いところで“うまくいってしまうのではないか”とか、そのような思いは実現してゆく可能性が非常に高いでしょう…。
それはなぜなのかということですが、この世界はある意味想念でできていて、まるで夢のような性質を持っているのです。それをあえて言うなら、創造の主体のまるで夢のような創造によって、この世界ができているともいえるような、あらゆるものが想念によってできていると言っても、良いほどのことであるのかもしれないのです…。
古代からそのようなことがずっと言い伝えられてきました。
そして、ある意味、その想念の世界で、私たち人類もその想像の主体の子どもとして、創造を許されている範囲があり、影響をおよぼしているのかもしれません。私はそれを20代の頃に、メディテーションによるシディテクニックといったことで深く経験しました。ですから、本当に思考が現実化する世界があることをつくづく知ったのです…。
普段の生活をしているときは、さほどそれは起きないのですが、しかし、深いところでの不安や、深いところでの“そうなるのではないか”というとらえ方は恐れが強く創造され、創られてゆくということもまた科学的事実ではないかと私は感じています…。
ですから、自我の恐れから“ああなってしまうのではないか、こうなってしまうのではないか、駄目になってしまうのではないか、悪くなってしまうのではないか、だから良くならないと、勝たないと、偉くならないと”とせっかく頑張る思いも、そう思えば思うほど、逆にその不安や恐れが実現してゆくということは、悲しきことではありますが、あなたがおっしゃるようにあると感じます…。
逆に、“良くなってしまうのではないかな、うまくいってしまうのではないか、素晴らしくなってしまうのではないかな”といった安心感からくる“想い”もシディ的な力によって、実現してゆくことでしょう…。
そのような意味で私は、自我(自分)が勝つとか、偉くなるとか、すごくなるなど考えるな、不安や恐れは考えるな、良くなろうとするな、自我を強化しようとするな、自我を拡大するな、というように、子供のときから教えられたのだと、今では感じています…。
ですから、親しい方々や、自分の子どもたちには、自我を良くしようとするなと、そのように伝えてきました…。それは駄目になってほしいからではありません。真に豊かに、真に幸せに、真に繁栄してほしいからこそ、恐れを、不安を深いところで持たないような、そんな安心した生き方をしてほしいと切に願うからです。
そして皆さんにこのことをお伝えするのも、皆様が本当に自我の不安や恐れから自由となり、幸せをつかみ、美しき安らいだ人生を創造し、生み出していっていただけるよう、ほんの少しでもアイディアとなればと想い、素晴らしい人生を、素晴らしい世界を共に生み出したいと切に願うゆえに、お伝えしています…。
MARTH
2020年1月8日
※コメントは承認後に掲載されます。