愛を選んで生きることとは
Q:MARTHさん、私たちの社会、世界は、沢山の分離した人たちがいてとても怖いです…。ケンカや争い、裏切り、嘘、妬み、嫉妬、ありとあらゆる苦しみがまんえんしています。そんな中で愛を持って生きるというのはとてもむずかしい気がしています。
そのような悪い人たちの中で、私は愛を持って生きることは可能なのでしょうか。
MARTH:たしかにあなたがおっしゃるように、世界は今、分離の苦しみの中にいます…そして、あらゆる人々が分離社会の中ゆえに、本質で生きれずに、愛で生きれずに、また万物の子、神の子、なんと呼んでも良いのですが、その万物の部分として生きれないで、自我化して分離して、苦しんでいるのかもしれません…。ニューエイジでいう、本質で生きれず、低次な自己となってしまっているのがつらく、悲しいと多くの方々が伝えています…。それは、ある意味そのような戦いの世界の中、やむえないことでもあるようにも見えます…。
しかし、そのような分離の教育や分離感のまんえんする世界の中においてでも、そう生きなければならぬわけでもなく、苦しんで戦って生きなければならないわけでもないのです。
たしかにその分離の事実と共に、また、あらゆる人々が本当は一体であり、素粒子レベルではすべてがつながっていて、どんなに悪くなってしまった人でも、それゆえ本当は愛であることもまた事実であるのです…。悪くなってしまうには、つらさや苦しみがあったからではないでしょうか…。
さぁ、あなたはどちらで生きるのでしょうか…。どちらに合わせて生きるのでしょうか。愛ですか、分離の戦いですか、そして他との競争や比較、そして恐れ…。
あなたは本当は天の子ども、万物の子、愛の子ども、すべてと一体である、ということも事実であり、また、この世界が分離して見えて、みなが分離を信じていて、誤解して争い合ったり、戦ったりしているのも事実です。
さぁ、どちらに合わせる方がよいのでしょう…。それは自由なのです…。そしてもし、分離を信じた今の社会や、世界が怖いからしょうがないんだ、どうしようもない、あいつらが悪いんだ、やむをえない、防衛するしかないじゃないか、戦うしかないだろう、やられてたまるか、という方の道を選んだら、あなたもまた、その方々と同じようになってゆくことも事実としてあることでしょう…。この世界には、そのような苦しみの中で、戦いや分離の中に入っていった人で、あふれています…。
どんな方たちでも、分子の元として実際は一体の素粒子の海でできています。
どんな人も実は、それを愛と呼ぶなら、天と呼ぶなら、神と呼ぶなら、その一体のものでできていて、万物に生かされ、生み、育まれてきました。しかし、その真実を子どもたちが習わないがために、また、「しょうがないじゃないか、みんながそうなのだから、戦いなのだ」と言ってしまって、争いの中へ、いや分離の中へ入っていって、それに合わせてしまったら、誰もがその苦しみの中に、悲しきことですが、入っていってしまうのです…。
しかし、もし、それをあなたが望むのなら、それで良いです。あなたが人生を選択し、選んでゆけば良いと感じます。
ただ、MARTHおまえはどうするのだと聞かれたなら、どんなときも、万物の子を選びたいと言うでしょう…。そして、やむなく分離してしまった苦しみの世界を選ぶのではなく、天の望む生き方をしたいと願います…。それを神と呼ぶなら、また創造の主と呼ぶなら、その一部として、愛を選んで生きてゆきたいと、つくづく願うのです…。
私は、音楽も詩も事業もそこから生み出していきたいと切に願い、日々生きています…。
MARTH
2019年12月26日
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