自我の終焉の大切さとは
Q:MARTHさんにお尋ねします…。
今、パンデミックの真っ最中です…。
インターネットでは様々な情報が入ってきます。世界支配の人々と、愛の人々、その最終戦、そのように言われています。
私は、科学者です。世界がどのようになってゆくのか、心配でなりません。やはり、この世界は悪しき人々によって支配され、滅ぼされてしまうのでしょうか。
MARTH:先生、この世界は誰が何を言おうと科学的に素粒子の海、美しき一体の世界です。そこでは、妄想である自我は何があっても成功しないのです。分離したと妄信する自我は必ず失敗し、うまく行かないのです。自我で生きるということはうまく生きないということであるのです。
そのために、真に素晴らしき本質である、愛へと戻そうとするのです。この世界は真にうまく行かそうとする万物、いや神と言っても良いのですが、そのメッセージにあふれ、そのトラブルの嵐であるのです。自我で生きる人々、私たちも含めて自我で生きる限り、私たちに真の成功もなければ、真の幸せもなければ、真の繁栄も安らぎも、至福もないのです…。
必ず、自我は失敗します。必ず分離である自我はダメになります。自我は必ず滅びます…。必ず分離感を持った自我はダメなことをしてしまうのです。それをヘマという言葉で言う方たちもいます。
そのとおりなのです。自我というのは分かたれていると信じているために必ず失敗するようにできているのです。
そして、そのことで一体(愛)へ帰ってゆけるように、宇宙が決めた、神々が決めた、いや愛が決めた、何と呼んでも良いのですが、真我の決めた、それこそが美しき安全ベルトなのです。
必ず、人類はそちらに向かわなくてはなりません。いや、森羅万象すべてが、そちらに向かわなくてはならないのです。
この世界は愛の世界、一体の世界、素粒子の海の世界です。必ず、分離を信じていたらダメになってしまうのです。
そのとき、きっと質問がでます。なぜ、それが科学的にそうだと言えるのか…。その答えは先生、分離というものが事実ではないからです。科学的事実でないために、妄想ゆえに、自我は妄想ゆえに、分離というのは事実でなく、現実でもなく、科学的なものでないゆえに、自我(分離)とは妄想であり、人間が信じた真実でないものであるゆえに、妄想で、真実でないことで生きるときに必ず、メッセージが来、うまく行かないのです…。
あらゆるトラブルは自我から生まれます。世界中のあらゆる混乱、あらゆる苦しみ、あらゆる戦いは、すべて自我から生まれるのです。
ですから、目の開いた人々は必ず、自我の終焉、無我、分離の終焉、そのことを必ず伝えてくれるのです…。
ですから、どちらが勝つか、どちらが強いかというように見るのではなく、どちらが自我的妄想が強いか。そのことが大切です…。
そして、自我から生まれた知識、自我から生まれた考えというものは、必ず苦しみを生みます。ニューエイジの方々が闇にはまってしまうのは、必ずそのためです…。
宗教も、精神世界も、自我(分離的発想)の知識、考えによって、愛しさ、至福、喜び、真の幸せな感覚を大切にもししないならば、抜きに出る、勝る、自惚れる、支配する、される、見下す、勝つ、相手を負かす等々の考え、それではすべてが台無しです。そのことへの悲しみを見抜く愛が何より大切であって、思考や知識ではないのです…。
ニューエイジの知識、宗教の知識、精神世界の知識がいくらあっても、その当のものである一体性(愛)からくる幸せや至福がないのなら、人類は尊いものを体験し、生きることができません。その幸せから、至福から生きるとき初めて、どの分野にいても、素晴らしき人生を生み出すことでしょう…。
MARTH
2020年3月17日
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