身近で愛しき人たちに本質的サジェスチョンをするなら…
Q:MARTHさんにお尋ねします…
MARTHさんは、例えばご家族やお子さん、または大切な友人、また、大切な部下とか弟子とか側近とか、そのような方たちがもしおられるなら、そのような方たちに何より大切な本質的なサジェスチョンや本質的なアドバイスをなさるとしたらどんなことですか?
MARTH:そうですね…。一番大切なことは、至福や安らぎについてでしょうか…。真の成功や繁栄についてとも言えることなのですが、子どもたちには、えらくなるな、すごくなるな、野心を持つな、自我の念望を持つな、分離を促すな、と教えるでしょう…私はそのように父親から習って生きてきました…。それは多分先祖代々、私の一族ではそうなのです…。
それは、自我の野心や野望が量子的に反対となってしまうからなのでしょう…。念望がないなら、逆の言い方をすれば、自我というものが、分離というものがないなら、人はあらゆる自我の野心や念望、よくなりたい、助かりたい、勝ちたい、うまくいきたい、というものがなくなります…。
そうしますと、恐れが消えて、とてつもない安らぎや至福のなかに入ります…。なぜなら、安らぎこそ、私たち生命の本質であるからです…。愛、一体感、安らぎ…これらすべて、私たちの本質です…。
ではなぜ、それにひたっていられないのかといえば…それは、分離社会の中で培われた自我の野心があるからでしょう…。自我の念望、分離の念望、分離から来る、様々な期待や望み、様々なことがあります…。分離により生まれた自我が勝ちたい、よくなりたい、そうならなければ、ならないと危険だ、えらくなりたい、すごくなりたい、安全になりたい、やられたくない、様々な念望や期待を持つことでしょう…。それをよくよく見てみると、すべてそれは自我の、分離の念望や期待だと気づくことができます…。それによって、本質がとても大きな安らぎで愛であっても、分離感によって恐怖が出てきます…。不安が出てくるのです…。
そうしたとき、深いところでは不安や恐怖を考えてしまいます…。すると、この量子物質映画の世界の中では、想っている想いが、深い想いが現実化するというようなシステムがあります…。そうするとトラブルや問題が起こってくるのです…。
ですから、自我が終焉しろということやノーマインド、無我、様々な目の開いた方々が、分離の終焉を伝えています…それにはそういった深き理由があるわけです…。分離を信じていると自我が発生します…。自我が発生しますと、自我を守りたい、勝ちたい、よくなりたいという野心や念望、また比較や競争、あらゆる分離の原理がそこから生まれてきてしまいます…。
そうしますと、勝ちたい、よくなりたい、素晴らしくなりたい、えらくなりたい、成功したい、は、別に問題ないように一見見えますが、実はその反対側のものが深層心理で生まれてしまいます…。ならなかったらどうしよう、やられちゃったらどうしよう、やっつけられた、という不安です…。そしてそれが物質化現象として現れてしまいます…。
ですから、昔から「勝つと思うな、思わば負けよ」要は勝とうとしない、偉くなろうとしない、すごくなろうとしない、人をやっつける、はめる、騙す、殺す、様々な分離からの観念は自らの本質の安らぎを破壊してしまいます…。
そして、素粒子は一体です…。みな同じもので出来ています…。一体でないものがあると、素粒子は緊張します…。電子の乱れが生じることがわかっています…。一体で愛であるときに、電子はきれいに動くこともわかっています…。
そのように、愛や本質は、本来の原子のあり様、電子のあり様、素粒子のあり様、フォトンのあり様なのです…。
ですから、一体の愛で生きる、安らぎで生きることが、ベストだと言えるでしょう…。そのときに、人は自然と豊かになり、幸せになるのではないでしょうか…。しかし、なかなか難しいのです…。
ですから、偉くなるな、すごくなるな、私は自分の子どもにめだかとかしじみとか、小さな名前をつけ、目指すのではなく、勝とうとすることもなく、傷つけられても傷つけることなく、愛で生きなさいと伝えました…。それを聞くかどうかは本人の問題ですが、長年の啓発のトレーナーとしての沢山の経験のなかから、それが何より大切で、一番重要だと想っているからこそ、身近な人に、愛する人たちにそれを伝えてゆくのです…。
MARTH
2019年9月27日
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