Q:どんな嘘のなかで見失うのでしょう。
公開日:2018-11-09 19:20
Q:どんな嘘のなかで見失うのでしょう。
MARTH:それは未知で神秘の一体なる世界の中で、本当はすべてがひとつにつながっているのにそう思えず、すべてが万物の(神)の現れなのに、また、創造の主の現れであるのに、そう思っていないという意味で嘘の社会、間違ったことを信じた社会に人は暮らすという意味です。ですから万物の子であるあらゆる人々は誰しも探しています。一体であること、真の平和、真の愛、ひとつであることをずっと探しているでしょう…。いつも探しているのです。本当は自我につくづく疲れているのです。それは、本当は自らの質ではないからなのです。命、そしてこの肉体が終わっても、きっとずっと探すのです。一体のものを…。ひとつのもの、人を愛し、許せるもの、すべてがみんなつながっていると感じられるもの…。ゆえに、一体であるから、人を傷つけない、自らが傷つけられても傷つけない心を取り戻そうと探すのです。すでに気づいてないだけで、一体なもので、できているのが真の自己です。赤ちゃんのときにはありました…。ずっとそのとてつもない安心と愛しさを誰もが深きところで探しているのです。それは、自己拡大の愚かさに気づいた人々だけが手にできる万物からのギフトであるのかもしれません…。
本質が一体性である私たち人類は、自己拡大しないときにこそ、本当の幸せを手にできるのだということを未だ知らないのかもしれません…。私たちに、真に合っている生き方は、勝ったり良くなったり抜きに出たりすることではなく、一体である友を思いやる時に、本質的幸せがそこにあることを気づくことであるでしょう…。この国の古代の人々は、それを”和する”と呼びました…。
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