Q:持続可能な成功や繁栄、真の平和や喜び、真の愛や善良な世界...:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

Q:持続可能な成功や繁栄、真の平和や喜び、真の愛や善良な世界...

ラストリゾート運営
公開日:2018-11-03 02:11

Q:MARTHさんにお尋ねします。
持続可能な成功や繁栄、真の平和や喜び、真の愛や善良な世界、至福、今なお生まれないそのような美しい世界の障害となっているものは一体何なのでしょう。

MARTH:その最大の障害となっているものは、人類がこの世界をどのようなところであると捉えているのか…ということにほかならないのではないでしょうか、そこにこそ帰結するのではないかとも感じます。この世界は本当は何なのでしょう。科学的事実だけをとってみても、この世界のすべては一体であり、つながっています…。そして、永遠に未知で神秘なるとてつもないところであることは明白です…。

この世界は、私たち人類が神と呼んだり、創造主と呼んでいるようなひとり、一者でできているかもしれません…。ある意味この世界のすべてのものはその一者の細胞のように、その部分であるのかもしれません。もし、そのようなところであるとしたら、そのことに気づかないで、海にいるのに陸だと思うように。空に浮いているのに大地にいると安心するように。今いるこの世界がバラバラに分離しているところだと、もし信じたなら、そこから、人類は最大の苦しみを味わってしまうのではないかと心配しています…。まちがいなく一体の世界の中で、要は無小我の世界のなかで、そこを分離しているところの小我(自我)の世界だと誤って信じたならば、きっと苦しみの中で生き、滅びてしまうことでしょう…。そのとてつもない神聖な一体の一部である、また創造の子であるその子の質はすべてとひとつであり、神聖そのものであるとするなら、その場の中での自己拡大は万物から見てあまりにそこからずれたもの、というように捉えられ、見えてしまっていることでしょう…。自己(小自我)を拡大する、自分(自我)が良くなる、すごくなる、いいものになる、かつ、抜きに出る、安全になる、自己が、自分が、自分の家族が、自分の国が、というように分離を信じると、それを真に良くしたいとせっかく願うのに、その分離感のために、反対に手厳しいメッセージが来てしまいます。


「おいおい、君は間違っているぞ、君は万物の子、その一部なのに一体の世界の中でなに自己妄想を拡大しているんだ。なに分離を信じて行為しているんだ。」というように自分の真の自己(ハイヤーセルフ)から来るメッセージやブレイクダウン、もっと言えば、目覚めてほしいゆえの罰(ばち)まで起こしてしまうのではないでしょうか…。

そういったトラブルを作ると、そのブレイクダウンの源泉である、自我の念望、期待、そのようなものも相まってより深い心の苦しみとなります。


私たち人類が、ニューエイジや精神世界、様々な宗教性や様々な心の学びをもっていますが、そこのところが一番重要ではないでしょうか。あらゆるものが一体で、創造のもとであるものとひとつであるならば、そこから分離した動き、そこから自己を拡大した自我の動きというのはすべて、一体であることに目覚めてほしいゆえのメッセージ(罰)が生まれ、また逆にその一体性に合うように生きる時、ひとつである真実に合っているゆえの様々な喜びや褒美があるのではないか、という気づきが生まれます…。一体の世界であるゆえに自己拡大をせずに生きれば生きるほど、人生はその今いる場(一体性)に合っているゆえに素晴らしいものとなり、自己保全をせず、自己拡大せず生きるときには万物からの美しき賛美が起こり、幸せが来、繁栄が来、持続可能な成功、また子孫に至るまでそのことを伝えてゆくならば幸せや喜びが広がってゆきます。逆に、分離を教える、分離を習う、分離を信じると、(自我の強さ)それが万物の科学的事実、ありように合わぬゆえにトラブルや苦しみのメッセージがきてしまうとしたらどうでしょう…。もしかしたらこの世界はそのような単純な仕組みでできているかもしれません。「一体の中でおまえはなにをしているんだ。」、「一体の中で一体の仲間たちを、一体のものになんてひどいことしてるんだ。目を覚ませ、いい加減にしなさい。」と叱られてしまいます。世界を支配するような大王になった人々がすぐに滅亡してしまうのも、そのようなことなのかもしれないのです。そのことを人類は気づいていないのでしょうか。もし、そのことを学んでいないなら、知らないゆえに自己拡大し、知らずに自我という妄想を拡大し、そこから科学的に合わない分離的様々な行為をしてしまいます。そうすると、自らの高いレベルの意識から叱られます。一体である愛に気づいてほしくて目覚めなさいと…。逆にその人の神聖さ(一体性)につくづく気づいたなら、人類は本当に自分のことを得させることができ、部分としても繁栄したり、部分としてもいいことが起こったり、いいものを引き寄せることができたり、幸せになったり、滅亡しない、トラブルがこない、問題が来ない、そのようになるのではないでしょうか。もし、そのことに気づけずにいたなら、そのことが一番今人類の幸せや平和の障害となるのではないかと感じてしまいます…。真の平和や愛や幸せ、至福は可能です。海には海、大地では大地、合っていればすばらしい日々であることでしょう。しかし、合っていなければ合わない靴を履くようなものとなってしまいます…。


そのことに深く気づくことは、とても素晴らしいことです。真に一体である中でのびのび暮らすことができ、その気づきを深く持つことにより、その人を、また人類を幸せにするのではないでしょうか。なぜなら、そのような意識を持った人たちが増えれば、人のふるさとに侵入したり、人を傷つける、傷つけられたから仕返しする。というような人たちはいなくなってしまうからです。そのようなことをしてしまったら、自らが大変損であるだけでなく台無しです。たとえ相手が悪いから、相手が悪いことをしたからやっつけていいんだとしてしまったら、その人も一体でないという動きをしたこととなり、台無しになってしまうということに気づけるからです。そうすることによって、そのような気づきが人類に広がるなら、人類はもう、人のことを支配しようとか、やっつけようとか、だまそうとか、抜きに出ようとか、勝とうとか、自分の得をする自己拡大のためにありとあらゆる一体の世界に合わないことをするということがなくなります。自らが本当は、万物の子(創造の主体の子ども)であることに気づくゆえに、誰もがとわに続く自らの美しき質(愛)を守ろうとすることでしょう。その時はじめて、この世界に真の平和がやってくるのではないかと私は感じてなりません。



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