Q & A リアリティーとは
Q:MARTHさんにお聞きしたいことなのですが、よくニューエイジや精神世界の人たちは、「リアリティー」という言葉を使います。先日、MARTHさんも「リアリティー」という言葉を使っておられました。ニューエイジやそういった世界で「リアリティー」というのは、どういう意味のことを言っているのでしょうか。お聞かせください。
MARTH:“リアリティー”、この世界の真の現実、本当の真実と言ったほうが良いのでしょうか。その答えは、この世界は本当は未知であり、神秘であり、一体であるのだということです。それどころかその物質と思っているものは、実は人間の想念に影響までしてしまうものであるのです…電子や素粒子レベルよりももっと小さなレベルになってゆくと、ますますそれは顕著となってゆきます…。古代ではそれらの現象を様々な言葉で呼びました。例えば例を挙げるならエーテルとか、アストラルとか…様々な言葉があります。それはすべてと同じように人間がそう名づけただけであるのですが、どちらにしても、この世界の構成要素は、一体であり、消えたり、生まれたり、消えたり、生まれたりを、ものすごいスピードでおこなっている、物質映画のようなものであるのです。それらは現実に存在していない、また存在した、また存在していない、を繰り返すもので、1秒間にとんでもない回数、出たり入ったりしている、不可思議なものなのです…。そういった意味で、この世界は現実ではないとも言え、この世でもない、また、リアリティーについて、もっと言うならば、この世界のすべてはひとつなるものに言葉によって名づけ、分離したように見えているだけの、ひとつなるもので、当のものは未知のまま、神秘のまま、永遠に分けれぬ、分からぬもので、言葉で名づけ、分けられただけの、意味づけただけのものであるのです。ですから、永遠に未知で神秘なものであるといえ…それこそが真のリアリティーであるのです。
本当は現実とは言えない、未知や神秘の物質映画のようなものである、この美しき世界の中に現れた私達は、それを認知出来なくなっているとしたら、リアリティーに気づけなくなったといえ、現代が進化した世界だとは決して言えず、未知や神秘への気づきこそ、真に進化した、本当の現実にそぐった世界と言えるでしょう…。
ですから、古代の科学というのは、今で言う原子レベルを解明している量子力学であったということでもあるのです。要は、現実でないということが当たり前であり、それをベースに生まれた彼らの科学のレベルは非常に高いものであったことでしょう。それが、地球人かどうかということよりも、どちらにしても、彼らの科学的水準は非常に高かったのです。それは今の科学で言うならば、プラズマ的な科学であるでしょう。UFOもあり、超常的なこともあり、タイムマシンやテレポーテーション、壁抜け、様々なものがあったことでしょう…。科学とメディテーションは、実は同じことでもあったのです…。 ですから一方で、メディテーションによって、ヴェーダやヨガの世界では、現実でないということがわかっていた時代には、壁抜け、空中浮遊、テレポーテーション、ワームトラベル、様々なものがマントラやスートラによって存在できました…。
そして、人類がだんだんそれが出来なくなってきたのは、分離の価値観でもあり、バラバラであるといった信念(現実感と呼ばれているもの)からくる恐れが激しくなったものであり、そこから生まれた妄想であるのです。分離というのは何でしょう。分離というのは、一体でないということです。それは人間で言うとそれぞれ分かたれた他である自我と言ってもよいでしょう。人類が自我化したことで、分離したことで、この世界は一体ではないということになってしまいました。そうしますと、リアリティーではない、分離という妄想の中に入ってゆきました…。そうなってゆくと、今度は人々は様々なものに名前を名づけます。未知なるもの、神秘なるものに名前をつけて、「分かった」「分ける」「分かたる」というようになったでしょう。そうしますと人類はこの世界が分離した、分かれた、分かたれたものととらえるようになります。それは、すべてが電子で出来ているという現実、要は真実から離れていってしまうのです…。そうしますと、この本来すべてを構成する一体である電子の軌道は劣化しはじめます…。
どういうことかと言いますと、電子というものは通常は綺麗な円を描いています。そして、回転もとてもスムーズに、なめらかに、速く動いていますが、この分離感という感覚を人間が持ちますと、恐れから来る「ネガティブ」な電子を生みます。すると乱れた軌道状態となり、その上、争いや戦いというものになると、一体ではないという情報によって、電子は強く反応します。電子は正しい軌道を失います。その軌道を、若き日私の個人教師をしていた科学者の人はπ(パイ)と呼びました。 ぐるぐる回った、円を描いているからです。綺麗な円を描くものをπと言いました。その当時、若き日私がヨロン島に、π化したリゾートを創ったのはそのためです…。
それは、その電子の美しき軌道は、すべてが一体で同じ素粒子、電子で協力しあい、すべてが出来ているというリアリティーのときにこそあるわけです。ですから、この地上で電子がうまく回っていない、よくニューエイジではケガレチとかイヤシロチと言いますが、そのようなネガティブな場所、ポジティブな場所というのは、電子的にもそのような影響を受けることにより、分離の強い価値観の電気体や、そのような人間の価値観で生まれるものが悪い電磁波とも呼ばれ、逆にゆらぎある自然なもの、自然界が生むものは、それらを直してゆくものとされています…。良き電子が集まってくるような場所は、すべてが一体(愛)というリアリティーになりますと、電子も非常に綺麗な軌道に戻ってゆきます。それが自然であるからです。それがリアリティーの世界であるからなのです。ですから、ニューエイジが言う「リアリティー」というのは、愛のある場所、一体である場所。争いがない、だから電子は、そのような愛ある人のそばに行っても乱れない。それどころか、その人と共に美しく大自然の詩(愛・一体)を奏でる、というようになるでしょう…。しかし逆に、ネガティブな分離感が強い人に近づきますと、電子は乱れます。
嘘つき、殺し屋、騙し屋、攻撃的な人、様々な人が来ると電子は乱れてしまいます…。電子が乱れると、その場所は悪化してゆきます…。
そして物質の中には、電子を正しく軌道させる、巻き込む力を持った原子、そして分子と化したものたちがいます。 それは、分離感の強い恐れからネガティブな価値観を持った人が近づいて来たとしても、電子を乱れさせない力を持つ原子があります。それが、ヒーリング能力のある物質というように言えるでしょう。ですから、ヒーリング能力のある、一体性を持った動物たちや植物たち、木々や大地。一体性で出来ている様々な人工物でないものはヒーリング能力を持っていますが、美しき軌道を自己維持出来るものと、影響を受けてしまう電子が、人にも物質にもあるのでしょう…。また、人間も一体性がある、分離感が少ない、または自我が終焉している人は、ヒーリング能力を持っていることでしょう…。また、物質も同じで、その物質のそばにいると、電子がいい軌道で回るというのは、ヒーリング効果を持っている、そのような物質であるというように言えるのではないでしょうか…。
ですから、ニューエイジが「リアリティー」と呼んでいるのは、電子が美しく円を描き、すべてと調和して回る、要はπ3.14 円周として、非常に整列されている、そういった意味であるのでしょう。
それが、電子の軌道がリアリティーで回っているということの意味で、もし、電子は何がリアリティーですか?と聞かれたら、それは自然界の在り方、万物自然であり、すべてと一体であり、愛であるのです。
ですから、一体でないと信じて騙したり、嘘をついたり、殺したりやっつけたりするということは、どういうことになるのでしょう。電子にとってはビックリすることです。ですから慌てて軌道を失います…。それが、電子が傷つけられたということです…。電子が傷つくと、そこがダメになってしまいます。ケンカや分離を信じている人のそばに行くと、電子はダメになります。そしてその人の電子がダメになってしまいますと、その人の情報や、すべてその人の細胞や細胞分裂、様々なものに影響し、電子で出来ている情報まで狂ってしまいます。そのようなことが真実かどうか、人類は真剣に学び、臨床すべきときではないでしょうか。もし、その影響が本当に起きて来るのであれば、大変な問題であり、それを人類は「バチ」というように古代から呼んできたのではないでしょうか…。自らを罰するというのは、自らの神、電子のことで、神とは電子の束だと言ってもよいのかも知れません。この世界は神の夢、愛の夢であると私も感じています。
そしてその美しき世界は、すべてがひとつで一体だというリアリティーの性質を持っています。リアリティーである本当の真実である一体なる情報を持っている電子が、一体でないものに出会うと軌道(愛・一体性)を失います…。
そして、一体(愛)の法則の中で電子が軌道を美しく回っていて、頑固にも、どんなに悪質で変な波動のものが来たとしても、それに巻き込まれず、どんな分離感を持った人の話や波動の中でも影響されないという、それどころか逆に愛へと影響してゆく、絶対的電子の整列したもの、
というものが存在します。これはエントロピーの減少、還元、そのように呼ぶようなものです。
それが、エントロピーを減少させる、要は現実から、未知や神秘というリアリティーに物質を変えてゆく力を持っています。非現実性の価値観を多くの人々が持ち始めると、それがより進んでゆき、想念の影響を受ける素粒子の海の中では半霊半物質ということにもなってゆき、人類は永遠へとトランスフォームしてゆくことともなるでしょう…。それは、電子は信じたものになるといった物質映画的性質を持っているからであるのです。
このことについて、詳しくはまた次の機会にしましょう…。
MARTH
2019年6月22日
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