Q & A 一体性をベースにした意識について:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

Q & A 一体性をベースにした意識について

MARTH
公開日:2019-04-11 01:57

Q:お尋ねします。よく、「右脳」「左脳」と、この社会では言われています。「右脳」と言っている人が非常に左脳な人だなぁと想うことがよくあります。
これの本当の意味とはどういうことでしょう。


MARTH:ニューエイジ的に、「右脳」「左脳」ということをもし解説するとすれば、このニューエイジ(精神世界)というのは右脳や変性意識を扱うものとされているのですが、実際は自我意識の変性意識か顕在意識、無我意識の変性意識か顕在意識というように本当は分かれているのです…。

ですから、顕在意識でも、一体性を持った顕在意識があり、また、潜在意識と呼ぶものでも、一体性が無い自我的なものが存在します…。自我的なものが強くなれば、おのずとその分離性から戦いや争いに巻き込まれてゆく可能性が多くなるのは必然のことでしょう…。そのため、それを終えることを学ぶために、この物質映画である地上へ出てくるというようなスピリットもあるかもしれないほどなのでしょう…。それは、これから人類の大きな探求のテーマのひとつであることでしょう…。


精神世界の一番の問題点は、自我意識を持ったまま変性意識(瞑想)に入ることかもしれません。そうしますと分離感が消えず、行くところは幽体離脱であったり、また、死んだというリアリティーの中に入ってゆくときにも、分離したまま夢を見てしまうかもしれません…。

ですから、真我に帰るということは顕在意識のときでも無我的、真我的な価値観で生きる、一体の価値観で生きるということがとても大切であることが、そこから見えてきます。それはとても大事なことであるし、また瞑想しているときも万物にとけ、自我を失い、真の自己である愛しさの中へ帰りたいと願うのです…。それゆえに、誰もが死という未知への扉を超えて、真の本質へ向かい、その世界、真のリアリティーの自分に、本当の自らに、真我へ帰りたいと願ってきたのでしょう…。そのようなことは古代から大切なことと伝えられ、それはムーの霊感の書にも現れているのです。

未知で神秘、この世でない、一者である愛の国と記されているその美しき言い伝えは、私達が一体のひとつなるものと記しています。それを体験することは大切なことであり、真の美しき精神の世界であることでしょう…。

ですから、自我意識(比較・競争の意識)を強く持ったままニューエイジ的世界に入るなら、誤ってしまい、とても醜くなってしまう場合があり、とても気をつけなければならないことであると感じます…。

人類が自らの本質である神聖さと愛に気づき、真我に帰ることがどんどん起こるようになったなら、その真我の質を地上にどんどん下ろす方たちが沢山沢山生まれ、その役目は何よりも大切となることでしょう。また、この地球でもっと楽しみたい、もっと万物の一部のかたちになって、克服したきものを超えようとすることもできるでしょう…。

この世界は物質映画のように本当のリアリティーではないのかもしれないゆえに、その世界で様々なことをトレーニングしようとする方もいれば、克服する方もいるのでしょうし、自分を変えようとする立派な方々もいることでしょう…。

もし、真我の中にずっと抱かれたままなら、そのまま真我であり続けるだけで、部分の成長や向上、楽しみや様々なことが出来なくなってしまいます。

そのような学ぶ楽しみが、とても大切であるとされてきたのはそのためであるのかもしれません…。

ですから、私はいつも、未知の中、神秘の中にいたいと感じますので、この世ではない、私などいない、木でもない、山でもない、川でもない、人間が名づけただけで、未知の中にいて、愛に抱かれ、すべてはその現れで、今この瞬間も神秘の中、ずっとずっとその中に在る…と、そのようにして暮らすように心がけてきました。

今では、そのようなことを自分に伝えなくても、自然とそちらの方へ在るのが当たり前となっています。ですから、皆さんから見たときに「あいつは変なことを言っている」「おかしいやつだ」と感じる方も多くいられるのは当然ですし、その方たちが悪いのではなくて、やむなきことであると感じています…。

MARTH
2019年3月19日

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