Q & A 永遠の命とは:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

Q & A 永遠の命とは

MARTH
公開日:2019-06-25 23:31

Q:MARTHさんにお尋ねします…。私はキリスト教徒ですが、イエスが伝えていた、「私と共に来るものは永遠の命を手にする」ということについて…。その秘境的意味はどんなことなのでしょうか…。MARTHさんはどうお考えでしょう。


MARTH:永遠であるもの、要は永遠に朽ちないもの、永遠に腐敗せず酸化しないもの、それは何でしょう。それは電気的なものではないでしょうか…。人間の肉体と呼ぶものは、分子で出来ています…。この世界もまた分子で出来ています…。ですから、いつかは朽ちてしまいます…。しかし、そのすべての分子は同じ素粒子、原子、電子で出来ています…。もっと細かいレベル、どこまでもあることでしょうが、どちらにしても、今人類が知っている最小単位、それであっても、分子より小さな単位は腐食も寿命もありません…。そして、人間を含め、あらゆるものが本当はそれで出来ているのです。そこでそのような電子、素粒子の束である人類に終わりはあるでしょうか…。その電子の秘密を古代の人々は知っていました…。宇宙の人々は、みな、それを理解しているでしょう…。もしそれを理解していない方がいるとしたら、残念なことですが、きっと今の人類だけでしょう…。すべてのものは、電子・素粒子・エーテルで出来ているのです。それは何かの妄想に条件付けられていなければ当たり前のことです。そして朽ちるのは、分子だけです。では、死んだら記憶がなくなるのか、とよく言う方がいます。記憶は何で出来ているのでしょうか、分子でしょうか、いいえ、電子、電気的ものであるでしょう。そして、それ以下の小さな単位のものです…。それは、腐敗するでしょうか。それに終わりは来るでしょうか。もし来るとしたら、それを記憶する電子が終わるときです…。電子には軌道があります。出たり入ったりするスピードや、消えたり生まれたりするスピードのことですが、それ以外には、電子が回る軌道があります。その軌道が乱れる時、電子は壊れてしまいます。それはエントロピーの増大であり、まるでレコーディングしていた音が、電子の記憶が壊れてしまい、消えてしまうようなものです。それを古代の人は本当の死と呼びました。霊斬(れいざん)とも呼ばれたものもそのひとつです…。電子は一体性でない価値観を持ったものに影響され、乱れます。なぜなら、電子は一体性だからです。すべては同じもので出来ているという厳然たる事実があるのです。電子、素粒子たちは、ひとつなる友であり家族であり、愛しき一体物なのです…。そしてそれは、すべてのものと一体につながっています。そして、私はその子どもであるとイエスが呼んだとき、一体である電子、ひとつなる電子の大いなるすべての束は神と呼ばれます。そしてその部分である、この万物のすべては、子と呼ばれました。どちらも永遠です。軌道を失わなければ…。


ですから、古代の人は愛を、一体をとても大切にしました…。子どもたちは小さい頃から一体であること、ひとつであること、素粒子的なことを学びます。それが古代の人たち、いや、宇宙の人々、それこそが法則であり、それこそが宇宙の学ぶべき大切な学問で、科学であるからです。宇宙のあらゆる方々が一体であること、ひとつであることを理解しています。そして、そこから逸脱すると、自らにそれが降りかかることも、それをバチと呼び、みなが理解していました。その理解が破壊されるときに、闇はやってきます。人類がもう闇であるのは、そのためでしかないのです…。永遠性とはあらゆる人が持っているものです…。それは、みなが学ばなければならぬ、唯一のものであるでしょう…。ただし、一体であることを気づいて、愛で生きる人たちには、それらは当たり前のものです。そうでなければ彼らの周りの電子が乱れてしまうことでしょう…。

この地上には、その電子を頑固にも決して失われない、様々なものがあります…。そのような分子となったもの、例えば薬石、セラミックス、花崗岩の岩や巨石、そういったものは、非常に電子の軌道が確固たる、エントロピーを減少させる力を持っています。軌道が美しく回っているという性質を帯び…。そしてその電子がうまく綺麗に回っていないものが近づいてきたとしても、自らは乱れないという強い特徴を持っています。人類はそのことを、間もなく見つけるでしょう…。

永遠の命というのは、電子のことです。ですから人間の分子が破壊されても、乗り物が破壊されただけで、電気体で出来た記憶や才能はそのままです。そして、電気体が分離を信じていたら、どんどん軌道が悪くなってしまうでしょう…。だからこそ、そのことを学ぶ必要が何よりもあるのでしょう…。もし、分離の価値観のために万物自然から異質なものと捉えられるなら、不自然なものと判断されてもおかしくありません。分離感の価値観によって生まれた、人の創ったものに自然なゆらぎが無いのもそのためです。
それは宇宙から異質であるというようにキャッチされてしまいます。そのことを人類は調べ始めなくてはならないでしょう。電磁波の問題も、そこから生まれるのです。

一体である愛と喜びに満ち、大自然と共に愛しみ合い、永遠なる生で幸せに生きること。そう生きない人々が攻めてきたり、やっつけてきたとしても、自分だけは愛の電子を失わないようにすること、愛で生きること、イエスもきっと尊んだでしょう…。あらゆる賢者が、イエスに限らず…。

ですから、何かの団体に所属することは、私はしないのはそのためです。分離が嫌なのです。自分の身を守るために何かに所属するということは、分離を促進することではないかと感じるからです。一体である喜び、ひとつである喜び、誰とも隔たっていない喜びは、最高の幸せです。隔たりを習うことは、最大の苦しみです。私はそう感じます。しかし、私の言うことを信じないでください。私はたわごとを言っているだけだと…それでいいのです。

ですから、きっとイエスは言ったのです。「私についてくるものだけが、永遠の命を手にする」と…。それは単純に、この宇宙が電子の海ですべてが出来ている。だからあなたは永遠である。すべては永遠であり、果ての果て、どこまでも永遠に続く未知なる電子の海、この分子で現れる この世界は夢、幻のようなもの、決して現実などではないのだと、沢山の賢き人々は見抜いていったのです…。この世界はどこまでも、いつまでも未知で神秘であり、果てのない幻のような永遠に分からぬところであるのです。すべてがつながっていて、安心の楽園であったのです…。だからすべては神々であり、愛の現れ、神の夢なのです…。しかし、反対の意見があって良いのです。私だけがそう感じているのかもしれません。それでよいのです。同意する必要は決してないのです…。

MARTH
2019年6月25日

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