Q & A 深いところの想いが現実化する:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

Q & A 深いところの想いが現実化する

MARTH
公開日:2019-07-23 12:42

Q:私は、「ああなっちゃダメだ、こうなっちゃダメだ、ああなっちゃうんじゃないか、こうなっちゃうんじゃないか」といつも不安を抱えています。それは分離の感覚と、どのようにつながるのでしょうか。


MARTH:もし、分離がなかったら、自我がなければ、一体であるなら、「ああなっちゃうんじゃないか、こうなっちゃうんじゃないか」ということは考えないし、不安にもならず、生じてくることすら起こらないでしょう…。もっと言えば、自分(自我)がいて、その自分が他に勝たなきゃいけない、偉くならなきゃいけない、すごくならなきゃいけない、他に負けられないとなると、反対側になってはいけないという恐れで考えるようになります。特に、この素粒子の海では、深層心理は現実化します。深いところにある想いが物質化されてゆくわけです…。その深いところの想いとは、リアリティーを創る海でもあるのです。一体それはどんなものなのでしょう…。勝て、偉くなれ、すごくなれ、と習った子どもは、そうしないと怒られる。そして勝て!すごくなれ!偉くなれ!と叱られたとすれば、「ああ、勝たないと!偉くならないと!すごくならないと怒られる!叱られる!お金の不安はもういやだ!あれもいやだ、これもいやだ!」とありとあらゆるところが自我の深い不安となります。そうなると、深い深層心理の中では、その場が本当のリアリティーである変性意識に似た部分であるゆえに、その深き不安が現実を創っていってしまいます…。逆に、仮に勝っちゃダメだ、偉くなっちゃダメだ、すごくなっちゃダメだ!と、自己拡大(自己分離感)を否定された子どもは、深き意識で「勝っちゃうんじゃないかな、偉くなっちゃうんじゃないかな、すごくなっちゃうんじゃないかな、心配だな」となりますと、それが現実化します。もしかしたらそれゆえに、父はいつも「偉くなるな、すごくなるな、勝つな、人にまさるな」というように言っていたのかもしれません。そうしますと、その人が怖がっているものが人に勝つことや偉くなることや、すごくなることだとしたら、どうなるのでしょうか…。深いところの物質化する真理が、一体の万物の性質に合ってしまって、真に天から愛されてしまうのではないか、との気づきが生まれたりもします…。本人も、素粒子の海としてそこに合ってしまっているゆえに、何か素晴らしいことになってしまうのではないかというような、善なる感覚が自然に生まれてきて、それが物質化されてゆく可能性があるのです。逆に、ああなったらいやだ、こうなったら怒られるんじゃないか、笑われるんじゃないか、やっつけられるんじゃないか、そのような分離という妄想から生まれた不自然な不安を考えることで、こうなってしまうという考えで出来た世界観を創造主の一部である人間は、素粒子の海で、また、原子の海で、電子の海でそれを実現しようとしてしまいます。それを物質化現象化しようとするわけです。しかし、表層の念望や野望なら、そう簡単に実現出来ないのですが、深い自我の念望や野心の、実現不可能への不安や恐れ(分離)は、反対になってしまう可能性が高くなるのです。ですから、そのような深い不安が出てきたら、さっさとやめることは良いことです…。ですから、人や自分を真に育てるなら、良くなろうとかすごくなろうとか、要はそれは自己拡大の野心、部分拡大の念望、部分保全の期待感も、反対を作る可能性が多くなるゆえに台無しだと気づくことは大切です。一体の素粒子の海のなかでは、真に成功、繁栄し、幸せに生きるには、自我の野心や念望を持つよりも、一体感の中、愛で生きることが一番素晴らしいのです。人にまさる、勝つといった、一体の世界の中であえて分離の悲しみを選んできた問題を人類が知らなければ、ずっと自らに気づかせよう、自らを目覚めさせようと、一体なる本質の愛へ帰らそうと自らにメッセージを送り、それがきっと、他からの「バチ」となって見えることでしょう…。


MARTH
2019年7月22日

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