Q & A 生まれ変わり とは
Q:MARTHさんはヒーリングやニューエイジ業界のリーダーだと感じます…。ですからあえて、この問題についてお聞きしたいのです。
よくニューエイジの方で「我こそは誰々の生まれ変わり」とか「我こそは神の選ばれし者だ」みたいなことを言う方がいます…。なぜ、そのようなことになるのでしょうか。また宗教の問題も、そこから来ているのではないかと感じるのですがどうでしょう…。
MARTH:おっしゃる通りです。残念なことですが、そのすべての問題は分離にあると感じます。人に勝ちたい、良くなりたい、抜きに出たい、すごくなりたい、偉くなりたい、負けたくない…。これはトップの方だけではなく末端の方まで、そのような野心や念望、分離の価値観からくる恐れを持っているから、そのような方向性になってしまうのだと感じます…。悪気とかそういったことではなくて、人類が今、自我世界分離社会であるために、自我を良くしよう、勝とう、さげすまれたくないなど、「自」と「他」というものを信じていて、「自」と「他」という分離からそのようになるのです…。そのことがまずひとつの大きな問題です…。
もうひとつは、真に深き瞑想がうまくいったときには、誰もが真我に帰ります…。これは前にもお伝えしましたが、日本の武士たちが語ってきたように「一元に帰す」「一体に帰る」「この世界は一者である、ひとりである」また「この世は夢のまた夢である」というような価値観を体験します…。ですから、神と自分という分離もなくなりますし、自分と誰々という分離、私と他の誰か、現実感ということも消えてしまって、自分はいなくなって、万物の海、一体の海へ帰ってしまうという体験をしたとしますと、やはりそのような分離の価値観はなくなってしまうことでしょう…。
そして、「誰々の生まれ変わり」とよくニューエイジの方が言うというお話ですが…。それは、本当なら「誰々」と同じような意識レベルにある、という意味で使われるべきものではないでしょうか。
古代の誰々などと、よく言われるのは「私はクレオパトラの生まれ変わりよ」「私は楊貴妃の生まれ変わりよ」などです。すると、その人をよく見てみるとやはりとても似ているのです。なぜなら、自分に似ている意識の人を生まれ変わりと感じているのではないでしょうか。似ている意識の人であるゆえに、そう感じるのかもしれません。しかし、全人類、仮に悪魔を信じた意識の方も含めて、みなが一体物です。一者です…。本当にその方たちが深いメディテーションの中に、自我を失うようなことになり、愛の中に帰ったら、誰でも一者に帰ります…。この体験をしたときには、私達は「ああ、この世界すべては一者によって現されているものだ…。」と感じます。すべてのものは自分である。または自分などいないとも言え、一体の中であるという感覚を持つことでしょう…。
ですから、自分が古代の誰々だったというよりも、その古代の誰々さんがそこまで到達した意識、それと自分が似た意識であるといえるでしょう。だとしたらこれは同じ人です。すべての人が時代を超えて一体なるひとりであるからです。私はそのように感じます。これはあくまで個人の感覚です。若い頃、その真我というか一体の中に何度も戻って帰っていったことがあって、そこから感じるものはそういったことであるのです。
ですから、誰かより偉い、上とか下とか、いいとか悪いではなくて、全人類または虫や鳥や花やすべてのものがそこへ帰るのだと感じます。
すべてのものは一体である…ですから時代に関係なく、例えば縄文人の方と私達は一体で、同じ意識です。高次な無我性と低次な自我性の二つのはざまこそ、ニューエイジで意識レベルと呼ばれるものの本当の意味であるのです。ですからそこに自分と同じような意識に到達した方がいるなら、その人は生まれ変わりと同じことでもあるのです。すべてが一体であるのですから…意識レベルの違いだけなのです…。
私達がこれからとても大切に千年王国を創ってゆくときになによりも大事なことは、みなさんが真我に帰る、高い意識に戻る、神々しい意識へ、神の子らしい愛へ戻ることであるでしょう…。古代の人々の神々しい人が「何々の神~」と呼ばれたように、I・ナギィードが神と呼ばれたように…。美しい人に帰ることがそれぞれの役目ではないでしょうか。ラ・ムーのような人に、釈迦のような、ソクラテスのような、OSHOのような、クリシュナムルティのような、ラマナ・マハリシのような、美しい人に戻らなければならないのではないでしょうか。
人類の本当の質である真我に、愛の人に、一体の人に戻る。一元に帰さなければ誰もがならないのでしょう。
それはあらゆる人類の役目ではないでしょうか。
私はそのように感じています…。
そしてご質問ですが、あくまでも個人的な見解ですが、そのように人が真我に帰り、また一体に戻るなら、愛する意識を取り戻すことが可能となれば、あなたがご心配されている怪しげなものは消え失せてしまうことでしょう…
そして、恐れから、その観念から人に勝ちたい、まさりたい、けなされたくない、負けたくない、すごいものに見せたいという人々も、きっといなくなってしまうことでしょう…。人類は初めてそのとき、一体である、愛の世界を体験するのではないかと、あくまでも個人的には、そう感じてなりません…。
MARTH
2019年3月24日
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