Q & A 真に良き人として生きること
Q:MARTHさん、世の中にはいい人の演技をしている人がたくさんいます…企業もそうです。
悪いことをしているのに、偽善の寄付をしたり、悪い人なのに、演技をして笑っていたり…そのようなものを見て私はとても嫌な感じを受けますが、MARTHさんはどう想われますか?
MARTH:まずそれは今あなたがおっしゃるように、本当に良き人になる、真に善良に生きるということよりも、そのように見せることに力の入っている方だということだと想います…。
その方は小さいときに本当に怖くて、恐怖があって、なんとか見せなければならなかった。やられないように、やっつけられないようにという念望が非常に強いのではないでしょうか…。
ですから、いい人に見える、また罪悪感がある、ですから、様々な演技をし、嘘をつき、色々なことをして身を守らなくてはならないと信じたかったのではないでしょうか。ですから、嘘も偽善もやむないことなのだ、仕方がなかったというように恐れてしまっている方じゃないかなと、私は感じます…。しかし、誰であってもその真実は、そのように見せることが大切なのではなくて、どんな境遇においても本当に良き人、良き企業となることです…。
正しい仕事をし、美しくまっとうな生き方をして、それゆえに、その生き様自体が全人類への貢献となるのです…。悪いことをして、悪質なことをしながら、何か良き人に見せようと嘘をつき、いい人の演技をし、そのような偽善で貢献をしているように見せても、自らを罰することが増えるだけで、終わらないことでしょう…。なぜなら、あらゆる人の本質は神であり、善良であり、あらゆる人が万物の子であり、愛であるからです…。ですから、腐敗する自らを決してゆるしません。そしてそれは、自分の中のハイヤーセルフとして、自分の中に存在しているのです…見つからないように騙す相手はいないのです…。自らの中以外に「他」を騙して見つからないようにしなければならぬ神とか、自分以外の「他」に、自らへ罰(ばち)を当てるようなジャッジするものがあるのではないのです。いつも、自らをジャッジするのは自らのハイヤーセルフであり、罰するのは自らの中にある神の意識であり、自らの善良さであり、それは、自分の中にある本当の良心(良き心)であるのです。
ですから、人や他ではなくジャッジをするのはいつでも自らであるのです。ですから、他や人を騙しても何も意味がないのです…。他を気にしなくなることが大切です。
人々が怖い、人々が自分をジャッジしてくる、自分をやっつけてくるという、そのような恐れを持って騙していれば、ますますそのような自らを罰することは大きくなってゆくことでしょう…。ですから、誰もが自分に愛される、尊敬される、自分の本質に帰らねばならないのです…。ですから、私たち人類は安心して、真に良きものにならなくてはなりません…。演技は必要ないのです。誰が何を言おうと腐敗したものに恐れから巻き込まれることなく、本当に良き人になってゆくことが大切ではないでしょうか…。
世界中から非難されようが、笑われようが、バカにされようが、差別されようが、真に良き人として生きるのです…。人は関係ないのです。他の物はすべて自らなのです…。ですから、他や人を気にするのではなく、どのように見られようが、善なる、正しく、生きるのです。人の評価は一切関係なくそうした時、あなたは真の自己に、本質に、愛へと戻ってゆくのです…。元から本当はそうであったのだから…。
他の者があなたを非難するのではなく、自らの中に間違った、誤った自らを非難するものがあるとすれば、それこそが神であり、それこそが良心であり、それこそが真の自己、ハイヤーセルフなのです…。あなた自身が、自分のことを気に入らないと想っている部分があるとしたら、それがあなたの中にある神聖さ、愛で、本質であるのです…。ですから、演技はいらないのです。安心して、良きものに見せようとしなくてよいのです。その自我の恐れを超えて、真に本当の質に帰って良き者となり、愛して、安らいでよいのです…。
MARTH
2019年4月10日
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