Q & A 素粒子レベルからの本質回帰について
Q:MARTHさんは、一体性を素粒子レベルでお話されたりしています…。そのことについて、詳しくお聞きしたいのですが、お話していただけませんか?
MARTH:
素粒子レベルでは、あらゆるものが同じもので出来ているという点において、すべてが一体であるということを明白にしています…。
また、その素粒子レベルの性質として、あらゆるものが同じもので出来ているがゆえに、“一体でない”ということに対する素粒子レベルの強い反応が抵抗という性質を持つという問題があります…。
素粒子レベルではあらゆるものが同じもので出来ていて、一体であるのです…。そしてそれはすごいスピードで出たり入ったりし、消えたり出たり、消えたり出たりします…。ですから、この世界の真実は、現実と呼んで良いかどうかもわからない世界です。ですから、古代からすべてが夢のまた夢のようであり、現実でもなく、この世でもないと言われてきたことは、決して誤りでもないのです…。
これが、量子力学で解明され、わかっている現在の科学です…。ですから、この世界をこの世とも言えるし、この世でないとも言えます…。しかし、その素粒子の一体的性質上、同じもので出来ているすべての分子の現れの性質上、一体でない動きを好まないという、原子・素粒子の機能があり…。それは、人間界において「バチ」とか「メッセージ」と呼ばれます…。
すべてが一体で出来ている、ひとつである、同じもので出来ているというあらゆる分子たちの真の性質は、人間の生命、また動物たちの生命は同じものであることを意味する一体物であるのです…。
しかし、そうであるにも関わらず、人々が自我の分離を本気で信じた場合、問題は自然と発生します…。五感から来る分離が過剰化した状態で、強い隔たりというものになった場合、それを抑制しようとするエネルギーが働くのは必然です…。愛(一体性)の夢、神(一体性)の夢のような世界の中で、元に戻そうとする力です。これが万物自然の法則であるでしょう…。要は、私たちは一体であることを知った上で、注意深く自我(創造の部分性)は形成されるべきだ、ということを表し、そのような法則にそった動きをします…。
ですから、電子的に、また素粒子的に、あらゆる一体物は一体でないという間違いへの自然な認知のもとに、また、軌道を外れた自我の妄想のもとに、また、五感を持つことで勘違いし、分離が激しくなる場合、元に戻そうと、一体であるということに気づかせようと自然とするのです…。それは、自我からみたとき自我の念望期待の問題と共に、「バチ」「ブレイクダウン」というように見えるのです…。ですから、真の理解を持つには、人々が真に幸せや真の豊かさ、真の成功、または真に幸せに生きてゆこうとするときには、一体性を取り戻さなければならない、ということとなります。そうでない限り、自然と安全装置のようにメッセージが続く、ということにほかなりません…。
この世界は一体である、ひとつである、あらゆるものが同じもので出来ている、というこの科学的事実に戻そう、戻そうと人間の意識は働きます…。意識とは、原子で出来ています。素粒子です。考えも素粒子、電気です。考えや想念、また私たちが「魂」と呼ぶようなものはすべて電子で出来ています。そして、電子は一体です。そこで自我というものを本気にし、分離的想念で生きる場合や、五感を本気で信じてしまい、分離であるというようにとらえたらどうなるのでしょう…。
それは、本来の質に回帰させようと、大きな大きなメッセージを私たちに届けてしまうこととなります…。誰がメッセージをするのかと言えば、自分自身の素粒子です。これを人類は「バチ」と呼んできました…。
ではどのようにしたら、そのようなメッセージは来なくなるのか…。という問題です。それは、簡単なことなのです。私たち、あらゆる生命は一体である。そしてこの世界はまるで神の、または創造主の、また愛の夢のようなものである、ととらえてみたらどうでしょうか…。
ですから、夢であるゆえに物質として出たり入ったりもしている、想念に影響するという、この原子の性質上、この宇宙は、まるで神、また創造主の夢のようなもので出来ている、そして私たちはそれぞれの創造主の一部として、また子として、またその現れの部分を担うものとして、存在している…。と見、ですから、その創造の主、またはそれを神と呼んでも良いのですが、その主体の望む愛の世界創り、それを、それぞれが能力をもらい、この物質次元に生まれてきているとするなら、その私たちがそのために、その部分として、その現れとして、素直に自然にそこを担うものとして、創造を担うものとしての能力を発揮し、そこから輝いて生きるときに、メッセージはいらなくなります…。
そして、五感によって、とても便利に私たちが美しき世界を構築するための活動ができるようになっているものを、「分離」というようにとらえ、自我を形成して、戦いや闘争や、殺し合いや騙しや、隔たりからくるあらゆる諸問題を創りだすときには、「目覚めなさい」というメッセージを自らが送る…それは自らが神の現れの一部であり、創造の大切なところを担うものとして、目覚めさせようとする、というところを人類は深く、深く、検証し、理解する必要が今ある時に来ているのではないでしょうか…。
世界の、また個人のあらゆる問題は、そこに帰属するものであると感じてなりません…。
その気づきと共に、そのとき初めて、人は万物の一部として、輝いて、創造を担うときに、自らが創造から与えられている部分としての能力を最大限に発揮し、生きるときには、自らに分離のメッセージを送る必要もなく、危険のメッセージを送らなくても良くなる、ということが見えてきます…。そのとき、私たちは、神の望む、または愛の望む、天が望む美しき愛の世界を、問題なくこの世界に現すことが可能となることでしょう…。
そしてそれゆえに、人類をまた個人を素晴らしく守る最大の気づきは、美しき自らの行動の、その万物の子としての本質からのぶれに深く気づくことこそ、最大の素晴らしき回帰を生む行為となるものであるでしょう…。
MARTH
2019年8月15日
※コメントは承認後に掲載されます。