Q & A 自らの幸せとは
Q:MARTHさん、質問なのですが、せっかく生まれたのだから、自分にとって幸せを追求するというのは良いことのように思われますが、どう思われますか?
MARTH:
自分にとって、というのは自我にとって、のことでしょうか。もし、自我にとって幸せが続いたなら、絶対に続きませんが、無我に帰るチャンス、本質に帰るチャンスを失ってしまうのではないでしょうか…。
であるなら、そのことは良いことだと想いません…。
自我にとって良いことを必死に求めるということは、自我が防衛のため、自我の安全のために自己拡大するということになります。
そうしますと、あらゆる自我にとっての危険なものを許さないことでしょう…。ましてや、そのためにわざわざ選んだあなたが許せないそのような幼少時の環境、せっかくそのように選んだにもかかわらず、あなたがそれを許したり、愛したり、抱きしめたりもしないのなら、あなたは本質へ戻れないでしょう…。本質に戻らないということは、あなたは永遠も失い、苦しみの中にもがくということになってしまいます…。それは、自分に対する最悪の行為といっても良いでしょう…。一番大切なことは、自分が一番恐れること、自分が一番嫌なこと、それをわざわざ選んでそのような環境に生まれてくるのですから、それを大きな心で愛して、神の一部として、愛の一部としてそれを大きな心で許したり、それを抱きしめたり、深く理解したり、そのようにあなたが愛しむことで、あなたは本質(一体である無我=ワンネス)へ帰ってゆきます…。愛へ戻ってゆく最大の近道です…。
そしてあなたは、仏性をも取り戻します。愛を取り戻すのです…。それ以上に素晴らしいことがあるのでしょうか…。自我にとって素晴らしいことと、本質にとって素晴らしいことでは、あまりにも差があります…。
そして、永遠なる自己にとって、真の自己にとって、それは最高のギフトであり、永遠を失わないこととなりますが、もし、自我の好みのために生きたら、あなたは永遠性を失い、永遠の命さえも失うことでしょう…。
自我にとって甘い生き方をすることほど、これ以上自らをダメにし、損害が大きい生き方はないのではないかと感じます…。みなさんはそう想われませんか…。
今、自我の秘密やこの世界の無我や本質の秘密を知ったあなたはそのことが理解できるはずです。人々はそのことを知らずに自己拡大や自我保全や、自己防衛に日々従事しています…。それほど、本質にとって最悪なことはありません…。自らの本質は、ハイヤーセルフは、本体は必死に、気づかせようとあらゆるトラブルをその人に起こすことでしょう…。それは、この地上で考えられる最悪のことではないかと感じます…。
逆に言えば、わざわざ自分にとって一番許しがたい、そのような素晴らしい(嫌な)環境に人々が選んで生まれてくるのはなぜか。それは、それさえ抱きしめ、それさえ許せば、起こってくるその最悪のことでさえ、抱きしめて愛することさえできれば、ブッダ、目の開いた覚醒までするという意味ではないでしょうか…。
もし、そうであるなら、そのチャンスを踏みにじることほど、愚かなことはないはずです…。その問題が起こってくることを心待ちにするべきだと言っても良いぐらいのことではないでしょうか…。
そしてそのとき、無我によって、愛によって、あらゆるものが一体物だと見ることによって、敵と見える自らを苦しんでいる同胞と見ることによって、それが親であろうが、周りの人であろうが、それを愛することで、それを認めることで、自分が目覚めた人へと変わってゆけるのだとしたら、そのチャンスを失ってよいのでしょうか…。
ずっと逃げ続けたり、ずっと嘘をつき続けたり、自我の防衛のためにずっとやっつけたり、戦ったり、殺したり、そのためにますます自我化して、自己拡大して…それほど台無しなことはないのではないかと私は感じます…。
私の意見を聞く必要はないですし、私の言ったとおりに生きる必要もないのです…。ただ、あなたがどう感じるか、目覚める必要があるのかということです…。
そしてもし、目覚めたいならそうすれば良いだけです。
そうしたくないなら、そのままやっていくだけであるでしょう…。
MARTH
2019年1月22日
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