「東への道 -世界の見本となる愛の国を創るために-」について
「東への道 -世界の見本となる愛の国を創るために-」
今から、2700年ほど前に、中東から美しいハートを持ったリーダーが、「もう二度と争いはこりごりだ…」というようなハートを持って、神の世界を創りたい、愛の世界を実現したいと、沢山の困難を乗り越えて、東の地へ向かった…そのような伝承が日本にはあります…。戦わない勇気を持った人は、分離の世界ではとても難しいのです…。しかし、その愛のリーダーを慕って、みなが途中で屍になってしまうようなつらい想い、おじいさん、おばあさんはたどり着くこともできずに、そのアロンの杖に象徴されるような杖を持って、みなが大移動したそうです…。今の日本の神輿でいう山車(だし)のようなものが永遠に連なって、シルクロードを大移動したと言い伝えられています…。それが今の祇園祭ともなっているそうです…。それを見たその地域の人々は、どこへ行きなさるのかと聞いたそうです…。彼らは愛の国を創りたい、戦いのない、戦争のない世界を創るため、分離のない世界を、神が望む世界を約束の東の地で創るのだと答えました…。沢山の人々が家を捨て、ここへ参加していったそうです。とても美しき話です…。そしてその彼らの先祖はシュメールで、その前はナーカルで、そのナーカルの石版がモーゼの石版になったとも、言い伝えられています…。
当然、モーゼにとっても、先祖のルーツであるエデン、 ふるさとは東の地です…。 イエスにとっても、エリヤにとっても、イザヤにとってもです…。なぜそこまで東の地に価値があったのでしょうか。ただ先祖のルーツであり故郷だからというだけであったのでしょうか。きっと、違うでしょう。その国には愛があって、美しきハートに育まれた地であるに決まっていると強く感じていたからでしょう…。古代のナーカルの聖なる霊感の書、そのリーダーの愛を深く感じていたのかもしれません…。それは、この世界はすべてが一体の愛である、この世でない、現実ではない、未知の、神秘の、愛しさの中である、永遠にこの世界は未知で神秘で愛の住む場である、すべては神の愛の中に在るのだ、あらゆるものはその子供である。しかしそう想わず、そう習わないで、そう知らないで、みなが分離のために、自我のために苦しんでいる…。しかし、宇宙はそれでもなおうまく機能し、そのためのつらいメッセージが、その本人にやってくる…。しかし、それは現実というものを信じた者たちにとって大変な苦しみで、大変な難しさで、「罰」とそれを、日本では呼びました…。
子供たちが分離を、親が苦しい想いをして、先祖が苦しい想いをして、自我で分離を信じてしまうと、それは代々引き継がれてゆきます…。嘘つきになったり、殺し屋になったり、盗む人になったり、騙す人、奪う人になったり、支配の人となり…。だから、十戒があったと言い伝えられています。ですから、十戒の元には一体であるという想いがあったのでしょう…。
「ラス・トーラー」 それこそ、一体なる十戒のことです…。
そしてその、古代のリーダーは、約400万人を引き連れて日本に来たそうです…。愛する我が真の愛深き大君、I・ナギィードの元で死にたいと、老人たちはその旅の途中で亡くなられたそうです…。
I・ナギィードは、あらゆる人達に五穀の壺、そしてお父さん、お母さんが歩けるように、アロンの杖に似たものを贈ったそうです。「必ず、東の地で会おう、一緒に美しき愛ある国を創ろう。神の望むような…」その伝承が、ヤマトゥには残っています…。ですから、ヤマトゥは決して隣国や隣人に危害は加えない。隣国や隣人を愛し、それゆえに、自国や自分の家族が守られるのだというラ・ムーの価値観。それを愛した人々が世界中から帰ってきたと…。
そして、その12氏族のリーダーたち、他と見えるが本当は自らである隣人や隣国を愛するゆえの大切なアークを乗せた先発隊は、レバノン人の、ペルシャ人の八咫烏と名づけられたエブス人、背の大きなペルシアの人たちが船の専門家で、レバノン杉で出来たタルシシュ船で、ずっと何万年も交易していたその船で送り届けたと伝承されています。ですから今も、徳島では船の木造船を創る技術は世界一だとされ、アルマーニや様々な美しき家具も、徳島の家具の職人(船大工)の人が創っているという事実もあります…。
そしてI・ナギィードがどれほど、隣国や隣人を愛し、愛の中で生きるときこそ幸せとなり、この神の世界ではそれゆえに家族が守られ、自らも守られるという教えをつらぬいたのでしょう…。絶対に東の地でそう生きたい、そう在りたい、みなを幸せにしたいと…。その東の地へ行ったならつくづくそうしたい、というその現れが、「ヨナの国」でしょう。そのムーと呼ばれる古代文明の発祥の地が琉球であり、そしてその古代のI・ナギィードが最初に上陸したその古代ムーの島が、「ヨナ」と名づけられています…。決して、二度と間違いを犯したくない、彼らの神に愛される国を創ってみせるぞ、というI・ナギィードの想いが「ヨナの国」とつけたと、感じてなりません…。
MARTH
2019年3月19日
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