なぜ、一体性から生きるときに繁栄するのでしょうか
Q:質問です。MARTHさんは愛で生きなければ、台無しになる。
一体性を持たなければ、人はダメになってしまう。真の成功や真の繁栄がそこにはない、というようなことをおっしゃられています…。なぜ、一体性で生きないと台無しになるのか、そこのところをもっと伝えてください。
MARTH:それは、この世界が、素粒子の海でできていて、そしてその素粒子の性質が想念によって影響される…もっと言えば、想念でできている…。そして、それは一者の夢のような、一者の想念のようなものでできているということにつながってゆきます…。そして、その一者の想念だけでなく、その部分部分、その子どもたち、その創造の主体が創ったその子どもたち、それを私たちは人間と呼んでいますが、その万物の部分である人間の、その万物(神)の子どもの想念も、また、ある範囲において実現してしまう、創造することが可能である、ということに起因します…。
これは、地球上ではシディーというように呼ばれています。そのように呼ばれているそのものは、想念が現実化するということでもあるのです。それは素粒子と人類が呼んでいる未知なるものの強い性質です。
しかし、その想念で影響されるということにも、自然界から仕掛けがされています…。
人間が通常の顕在意識と呼んでいるもの…その中ではあまり想いは実現しないのです。逆に、潜在意識というか、深い意識、深いところの想いが物質化されてゆく、深いところの想念が実現してゆく、そのような性質を持っています。このことを人類は深くこれから学んでゆくことでしょうし、科学的に解明してゆくことになると想います…。
量子力学は、そのことをしっかり解明することとなるでしょう…。
そういったわけで、私たちが実現してしまうものは、深きところの“心配”です。よく“引き寄せ”というようなことが言われますが、実は顕在意識で考えていることが引き寄せられるのではなく、潜在的に、または深いところで考えること、感じることが引き寄せられてしまうのです…。
もし、人間が愛で生きていないのなら、一体性や安らぎの中で、また、無我性や分離を終焉させた状態、愛で生きていないならば、自我の不安や恐れ、野心野望、念望、また、そこからの挫折感、その反対側にある不安、“ああならなかったらどうしよう”、“こうならなかったらどうしよう”という深い意識が、ネガティブな意識に支配されてしまうという可能性があります…。
無我や、愛や一体性、人間の本質である真我、安らぎや至福の原点、そのようなもので生きているならば、“ああなりたい、こうなりたい”、“こうならないと怒られる、ああならないとやられてしまう”、“こんなことはいけないのではないか”、または罪悪感、そのようなものは少なく、あまり強くありません。万物と、神々と、創造の主体と共に生きているような安心感、一体性があるなら、深層心理は安らいでいます。愛に満ちてもいることでしょう。そしてそれが、実現するのです。
逆に、自我で生きた場合、分離で生きた場合、戦いや争いで生きた場合、その分離感から沢山の不安や恐れが深いところに残ります。そうしてしまうと、そのようなものを創造し、引き寄せてしまうのです。
ですから人類は、愛や本質、一体性、そこからくる安らぎや至福、幸せ感や愛しさ、そのようなもので生きるときに初めて、万物の子として自らを愛せるし、真に安らぐことができ、真の繁栄や真の成功や、真の美しい世界が創れるといえるのでしょう…。
そのことを人類は今真に気づき、科学的に解明し、調べ、そのような方向を学び、子どもたちもみな、この世界のすべてが一体であることを知り、そして、世界中が愛を持って、愛しさを持って、本質を持って生きるときに初めて真に豊かに、真に安らぎ、真に得をし、真に美しく生きれ、真に愛に満ち、素晴らしく平和で、愛しい世界を創れるのです…。
人は何であっても何かとひとつになるときに幸せを感じ、分離のときに不安を感じるようになっています。
幸せや至福は、万物(神)の子にとって、ひとつであるときに存在するものだといえるでしょう…。
そこから生きるときこそ、真の素晴らしき人生を生み出せ、愛しき世界を生み出すことができることでしょう…。
そして、そうでなかったら、きっと争いだらけとなり、滅びてしまうことでしょう。なぜなら、あらゆる自我は不安と恐れの元を生み出してしまうからです。
そしてそれが、この素粒子の海、創造する力によって、人類は悲しみの世界を創り出してしまうかもしれないのです。
私たちはそのことを本当に学ばなければいけません。私は20代の頃、とことんそのシディーを学びました。とことん、そのシディーを体験しました。これは、科学的真実なのです…。
この世界は、想念に非常に強く影響されるからです。そのことを人類は今、つくづく調べ、気づかなければいけません。でなかったら手遅れになってしまうかもしれないのです…。
2020年3月1日
※コメントは承認後に掲載されます。