一体の世界ゆえの、真の成功の法則とは:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

一体の世界ゆえの、真の成功の法則とは

MARTH
公開日:2020-04-19 11:56

Q:質問です。

MARTHさんはいつも、一体の素粒子の世界の中で、自我が勝とうとすると勝てなくなる。自我が良くなろうとしないほうがいい。自我の妄想を持たぬほうが良い。自我は野心や野望を持たないほうがより美しく素晴らしく、運が良く生きれる。そのようなことをおっしゃられていると感じます。

前はよくそのへんのことがわからなかったのですが、最近やっとこそ、一体の世界であるゆえにと、そのへんのことがつかめはじめています。要はそれは分離の問題からくるのですね。そこについて、もっとお伝え願えないでしょうか…。


MARTH:

確かにおっしゃるとおりです。一体の世界である素粒子は分離を嫌います…。また、素粒子は一体や愛を、本質を愛します…。ゆえに一体の素粒子でできている誰もが、愛の自らを愛します。分離の自我を嫌います…。

そして、それが人の運とか、バチとかといったものにつながってくるのではないかと私は感じています…。

自我という分離を強く存在すると信じますと、また強く自分というものが存在するとなると、他を滅ぼします。私たちの身体の細胞のように、細胞が独立した形になったと同じこととなり、本当は、「細胞くん、君は人間の、私の細胞だ」と伝えても、細胞自体は他の細胞と戦うようになったり、争ったり、奪ったり、徒党を組んだり、されたり、敵味方を作り、比較したり、臓器同士の対立を促したり、そのことでありのままの本質の自分を認められなくなったり、また競争したり、支配したり、滅ぼしたり、比較したり、対立したりするとすれば、それは身体にとっても、その細胞にとっても大変なダメージを伴う問題です…。


そして、人間も同じように自我の野心を持つことで、また自我(分離)の念望、期待を持つことで、心理的に今ここにいられなくなってしまい、今ある万物の至福、素粒子の至福と言ってよいのでしょうか、また、神の真我の至福を失ってしまいます。そしてその幸せや至福を失った段階で行為・行動するために、結果としては、初めにあった焦り、混乱、悔しさ、恨み、つらさを生んでしまうのです…。そこから自我の苦しみから創造する未来は、また、行為する結果は同じような苦しみとなってしまうかもしれないのです…。

ですから、私たちは私などいない、自我などない、万物の一部、愛の一部ととらえ、自我の野心などは持たない、勝とうとしない、良くなろうとしない、勝とうとしない、すごくなろうとしない、偉くなろうとしないほうが、安らぎ、愛しさへ帰り、万物にとけ、至福でいることこそ、自然と豊かに繁栄し、素晴らしい人生になってゆくのでしょう…。そのような法則を見つける必要が、人類にはあるのではないかととても感じます。

そして、私がこのようなことを伝えるのも、万人が、みなが幸せになってほしいからです。なぜなら、もしその真の宇宙の成功の法則が真実だったら、誰もがそのことを知らなければ、この星に住む誰もが幸せになれないということになってしまい…皆が幸せにならなかったら、部分も幸せになれないということとなります…。


万物すべて素粒子がつながっていて、この世界あらゆる人々が一体だからこそ、すべての人を幸せにしなければ、部分も本当の幸せはないのではないかということが、そこから見えてきます…。

私はそれゆえに、世界中の人に幸せになってもらいたいし、至福に帰っていただいて、本質に帰ってあらゆる争いを、戦いをこえて、素晴らしい世界になることを、心の底から願っています…。

MARTH
2020年4月18日

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