Q&A 科学的宇宙の法則、真の繁栄の法則について
Q:MARTHさんはよく、この科学的宇宙の法則、真の繁栄の法則について語られています…。私は大変、そのことに興味があります。それがとても大切なことのような気がしてなりません…。そこをもっと深く掘り下げていただけないでしょうか。
MARTH:古代から、ずっと真に賢き人々が伝えてきたことに、過信するな、うぬぼれるな、勝ちたがるな、要は自己(自我)を拡大するなという、そのような格言がたくさんあります…。
逆に言うと、自己拡大、自我が強まるとメッセージが、またそれをバチと呼んだ古代の人々もいますが、次々に起こってくるということが、伝えられてきました…。
あのソロモンですら、成功するには、謙虚であることだと言っています…。うぬぼれたり過信したりするのは致命的だと、自己拡大することは人類にとって致命的であると…。そして、そのようなところから、MARTHは、もしかしたら超古代の科学は量子力学的なものだったのではないか、というように伝えてきました…。なぜなら、量子力学というのは、この宇宙の科学的仕組みです。その中心は一体性であり、すべては想念に影響され、また想念によって創られているということです。そしてその、創造の主体たるものの部分である私たちには、小範囲ではあるのですが、それぞれがそのような創造する力を、また物質映画を創ってゆく力を持っているということが、最先端の科学が見つけ出しています…。
私たちは分子の中に暮らしていると信じていますが、分子は素粒子、原子で出来ています。電子が必ず原子核を回っています。その電子が回っている、その軌道が乱れることは、古代の人々にとってはそれを「ケガレた」と呼び、電子が美しく回っているのを「イヤされた」と呼びました…。彼らの言葉で言うとそれは非常に宗教的なもののように聞こえ、また、それはある意味迷信的なものに勘違いされてしまいましたが、結局古代の人々が伝えていること、また、古代のリーダーたちが口をすっぱくするほど伝えていることは、一体の世界でかつ、創造の影響を受ける、要は愛の世界なのだからこそ、分離(自我化)は大変危険な、大変な問題であると、伝えていると私は感じています…。
それゆえに、この社会が自我化、エゴ化、分離化していることは大変人類にとってマイナスなことなのかもしれません。
そこから社会が構築されていて、真に正しい社会でなくなってしまっている、分離を信じた科学的一体性を無視した文明にもしなっているとしたら、その文明に合わせる人々はみな、万物からのメッセージを受けなければならないということとなってしまいます。それは人類にとって大変危険なことです…。
万物の方は、天の方は、それを神と呼んでも良いし、主と呼んでも良いのですが、主体なるその創造の主の望みに合わない、一体に合わない、その子どもたちが反乱を起こしているような状態の社会は、健全な社会とは言えません。
そしてそこでは天(万物)の部分が勝つとか抜きに出るとか、偉くなるとかすごくなるとか、バカにされてたまるか、やられてたまるか、やっつけられてたまるか、そのような価値観で生きるときには、人はそんな自分がきっと好きになれないことでしょう。またそんな自分を許さなくなるかもしれません。
それが今の世界で起こっていることだとMARTHは伝えてきました。世界でうまくいかない、なぜうまくいかないか、社会でうまくいっているのになぜなのか…。ところが、万物宇宙の科学的在り方に合っていない社会の方が健全な社会ではなくてなってしまっていて、分離をベースに今創られてしまっている社会であるとなると、私たちは自らを目覚めさせようと、自らを罰するのかもしれません…。私たちは邁進(まいしん)、過信、傲慢(ごうまん)となった自分をきっと許さないことでしょう…。そして自分の至福は失われてしまうことでしょう…。
なぜなら、みなさんはその主体たる、この創造の、それを人類は神と呼んできましたが、創造の主体たるものの子どもであるわけですから…。そして、あらゆるものが、動物たちも花も、木々も虫たちもすべてが創造の子どもたちです。そしてその子どもたちが一体性の中で本当は愛しく至福に満ち、暮らしているはずなのです…。
ところが社会が、分離感からくる比較や競争、自我を強めることを教えたら、どうなるでしょうか…。そのときは、私たちは迷い苦しみます…。
そして、この世界で自分がほめられるためには、分離しなくてはならなくなってしまいます。それは私たちにとって大変なストレスになります…。私たちから癒しは失われます…。
ですから仮に、石やセラミックスや様々な癒しの力を持った、イヤシロの力を持った分子たちが沢山あったとしても、それは破壊されてゆくだけでなく、その想念でものを生み出すという主体たるものの子である力が、美しきものも壊してしまうことでしょう。その創造の力を持つ私たち人類は、その癒しの電子の美しい軌道すらも、きっと破壊し、美しさももう感じなくなってしまうかもしれません。そして、あなたの美しさや優しさ、自らを愛す喜びまで壊してしまうのではないかと心配しています…。
今、世界中の科学者はそのことを本当に見つけ出さなくてはならないでしょう…。人類の真の平和や幸せ、成功、真の繁栄を願うなら、私はそれが何より大切だと感じているのです…。
そのような一体性に満ちたところから生まれた企業が必要ですし、そのような愛と本質を生きるところから生まれた株主が必要ですし、そのようなことを真に理解したスタッフや役員や経営者が必要でしょう…。
そしてそのような人々が創る真に正しい、真に美しい、一体性を持った健全な社会、そこから生まれた企業や家で、そこから生み出される製品や、食品や、ありとあらゆる一体性を持った真に安全で、真に美しい素晴らしいものが生み出されなくてはならないと、感じてなりません…。
ですから、今世界中は自らにバチを与える、自らに気づかせる、傲慢、過信、うぬぼれがすべてをダメにすると、古代ユダヤの人々が言ったように、真の成功は謙虚さ、自己の縮小、愛、一体性、傲慢さやうぬぼれや過信をやめてゆくときに真の幸せがあり、また、万物の手足となって創造の主体、愛の主体、愛の手足となって美しい世界を創るときに、人は自分を許せ、愛せ、そして幸せになるのではないでしょうか。
それは、宗教とか、そういったものとはある意味関係がないと想います。それは科学であると、私は感じています。そうしなければ、原子が喜ばない、素粒子が喜ばない、そう名づけ、呼んでいる未知なる何かが一体でできているという法則の中の問題だと、私は感じているからです…。
そのとき人は、今までなぜうまく行かなかったのだろう、なぜこんなに苦しいのだろう、それはあなたが神の子、万物の子、森羅万象の子として使命を持って生まれた存在でありながらそのために生きていない。そのときのことであり、また、あなたがその大切な宇宙の使命を持って生まれているにも関わらず、それに気づいていない、それをやっていないというときに、自分を許さなかったり、自分が好きになれなかったり、天に帰ってゆくときに「ああ!やり終えた!よし、思いっきりやれたぞ!」と想えない悲しみがつきまとうのではないかと、私は感じます。
私は少なからず、「よし!やりきったぞ!」と言って、帰ってゆきたいと真に願っています…。
MARTH
2019年12月22日
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