Q & A 本質的な仕事とは?
「本質的な仕事とは?」
Q:MARTHさんにおたずねします。本質的な仕事をしたいのです。何をしたらよいのでしょう。
MARTH:何をするかではなく、どう在るかではないでしょうか…。愛の世界、すべてが一体の世界のなかで私たち人類は今、分離を信じて生きています…。私は、愛の世界(一体感を持った)を創るために、音楽をやり、実業をやっています。
本当はこの世界が愛の(一体の)世界だったことに人類が気づき、みんなが愛の世界に戻るために仕事をしているわけです。
それが農業であろうが、工業であろうが、医療であろうが、なんであろうが、愛のために、一体のために、万民の幸せのために仕事をする。何をするかではなく、どういう目的でするのか、どう在るのかということが何よりも大切なのではないかと感じます…。
私は若い頃から実業家でした…。そこから、ずっと一体の世界、愛の世界を創るためにどうしたらいいかとつくづく考えながら、いや、感じながら様々なものを創ってまいりました。人々の健康や、人々の心が幸せになるような、そのようなものをいつも感じています。そこから音楽や詩も書きます。そこから医学や科学技術をやる方もいるでしょう。でも逆に、自我が勝つ、偉くなる、すごくなる、安全になる、やられたくない、怒られたくない、抜きに出たいといった、そのような自我の念望や欲求で仕事をするときには、何をやっても難しい問題が生まれてくるのではないでしょうか。
神の子が、万物の子が、一体の子が、自然界の子が、愛の子どもたちが、素粒子でできたその分子たちが、その本当の質に戻ることが大切で、何をするかではなくて、みなそれぞれが特徴を活かし、みなそれぞれが得意なところを合わせ、力をみんなで尽くし、素晴らしい世界に変える、愛の世界に戻る、一体の中に帰ってゆくということを、本当は人類はすることが本当の幸せではないかと個人的には想います。逆に、愛を創るのだと言って人を殺すとか、やっつけるとか、ケンカをするとか、それは私は違うと思います。
愛の世界を創るならば、愛から生きて、本質から生きて、純粋さから生きて、一体性から生きて仕事をするということが、どんな職業であっても、大事なのではないかと、私はつくづく感じます。みなさんはどうでしょう。
だからといって、そのようにしろと言っているのではありません。それは、みなさんが決めることです。ただ私は、客観的に人類の今の状況を見て、そのように感じるのです。そのように感じるのは、私だけなのかもしれません。また、そのように感じる方が沢山いるのかもしれません。
どちらにしても、私はそのような一体の世界を取り戻し、愛の世界を取り戻す人類を、早く見たいのです…。
「MARTHさんはどのようなところから活動されているのでしょうか」
Q:MARTHさんは、実業家であり、アーティストです。
どのようなところからそのような活動をなさっているのでしょうか…。
MARTH:私はただただ、この素粒子の海、一体の海、愛の海の世界の中で、人類が一体というものを忘れてしまい、自我化してしまい、苦しんでいる世界…。戦っている、競争している、裏切ったり、人をいじめたり、負けたり勝ったり、戦ったり、そのような分離感にさいなまれた世界が、本当の人間の本質に合わないと、つくづく感じているわけです…。
ですから、それが実業であろうが、なんであろうが、人類が本質に戻ってゆくために必要だと想うことをやり続けてきました。そして私ができることです。私が得意なもの、それを使って、本当にそのような世界を創りたい、そのようなもののために生きたいと願い、行動してきました…。
勝つためでもなく、偉くなるためでも、お金持ちになるためでもありません。
真に人類が目覚めて、一体の幸せ、至福、自我の苦しみから抜け出すことを、万物の子として、天の望むことをしたいと願い、そのことだけをずっとやり続けてきたのです…。
Q:これは、風のうわさですが、MARTHさんが上場なさるというようなうわさを聞きました。それは本当でしょうか。
MARTH:それは、風のうわさにすぎないでしょう。しかし、もし私がそのようなことをするときには、それは新しい世界創りのため、人類の新しい未来のため、愛の世界へ人類が帰るため、一体の世界のため、人々がそれによって目覚めることが可能だと想うとき、その時のみでしょう。
大切なのは、人類が自我の苦しみから抜け出れる、そのような素晴らしい世界を生み出すことです。そのために、どうしても必要なときには、もしかしたら私はそうするかもしれません。
私は若い頃、そのようなすべてを手に入れました。そこにはなにもないとも感じました。エゴ世界には、かなしみと苦しみしかない、そこに良きものはなにもないと私は感じたのです。一体の喜び、愛の喜び、そのなかで人は美しく、すくすくと幸せに育つのではないかとつくづく感じているのです。
何かをするならば、そのとき、そのためだけであることは、明確です…。
2019年12月19日
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