Q & Aトラウマからの自由:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

Q & Aトラウマからの自由

MARTH
公開日:2019-05-30 23:24

Q:お尋ねしたいことは、MARTHさんが若い頃、啓発というか、自分を観る、気づくというセミナートレーニングのメイントレーナーとして世界的にも著名であられ、そして、そんな中で、何十万人という人のトラウマを研究し、かつ解決する法を見つけられているというように私は感じています。私もそのようなトレーニングを若い頃、沢山受けたことがあるのですが、MARTHさん、トラウマからの自由というテーマでお話していただけませんでしょうか。


MARTH:

まず、トラウマということについては、何十万人という方たちの経験からお伝えするとしますと、トラウマがほとんどない人というのも、沢山いるということです。そこに、気づいていない方も多くおられるかもしれません…。それを気づくのはとても大切なことです。トラウマのない人達がどのように生きるのかと言うことは、トラウマに苦しむ人々にとって大変参考になるからです…。彼らの特徴は、恐れを知らない・考えない・つっぱしれる・気さく・前向き・ポジティブ、という傾向が現れてくるのです。逆に、トラウマが強い、傷が強い、怖い思いが激しい場合、それは、日々生きる上で影響し、その恐れの想いは世界に投影します。そこから、残念なことに自己制限が起き、自分を苦しめる、可能を失うということがあるでしょう…。本来宇宙は一体であり、未知であり、非現実であり、自我(分離)を超えています…。ですから、自我にとっての苦しみ、つらさ、痛みは、万物にとってはあまり存在しないものです。しかし、この自我世界の中で分離感覚が非常に強い社会が生まれ、その中で誕生する万物の子は、一体の性質、愛の性質、美しい、気さく、気楽な性質、非分離、未知や神秘の安心感の性質を持ったまま生まれてはきます。現実感のない、生きてないようなふわふわした感覚、そちらこそが本来のリアリティなのですが、それをトラウマで苦しむ方々が見たときには、分離の恐れから安心感は失われてしまいます。それはもう、お腹の中にいる段階から、また生まれてから、その分離の価値観の中で、またその分離を信じた方たちの争いや闘争の中で傷ついてしまうのは当然で、その恐れによる制限が強く起こるのは、十分考えられることなのです…。私はそのような人たちを大変多く見てまいりました…。

そして、そこでもうひとつ気づいていただきたいのは、勝ち負け、分離が強い、恐れが強い方が傷を受けた場合と、その分離感(自我)があまりない、一体感や愛が強い人が傷を受けた場合では相当違うということです…。

当然のこと、分離感や争い、戦い、競争、勝ち負けという観念が強い場合、自分の傷を認めることすらも難しくなります…。その傷を調べることも、劣等する感覚があるならばより難しくなりますし、触れられることすらも避けるようになることは当然です…。そうしますと解決の能力を失ってしまうということが起こります…。それは大変マイナスであり、損なこととなってしまいます…。ですから、トラウマを終えてゆくのに最大に大切なことは、自分の傷からの恐れに深く気づく能力ということなのです。そして、自分の傷からの反応に乗っ取られないように生きるということなのです…。

それをひとつ例にとってみましょう。スピーカーを想像してみてください。スピーカーの前にコンクリートの塀を置いているというように…。そうしますと本来美しい最高級の最高に素晴らしいあなた(スピーカー)が置いてあるとして、その前にコンクリートの塀が置いてあるわけです。ですから、全く音は正しく鳴りません。あらゆる日々生活するのにそこを通して音を鳴らすわけです。あなたは傷を受けた恐れを見て、それを人生に、世界に投影し、怯えています…。その状態で生きるとしたらどうでしょう。そして、そこで分離感から来る社会の中で勝ち負けや負けず嫌い、ケンカ、闘争という価値観を信じていたら、そんなことを言われようものなら「うるせーコノヤロー」となってしまうだけなのです…。ただその恐れの塀を取り除けばいいだけなのですが、その傷を認められなければ、無いように見せようとするだけであるでしょう…。そのような深き洞察と、分離感を手放した、事実を認める力による気づきによって「ああ、オレの前に恐れの塀(投影する膜)があるぞ。オレは何を見てもこの塀(恐怖のフィルター)を通して見るぞ。オレは何を見てもこのガラスやネガを通して世界を見てるだろう」という誠実な気づきが何より大切で必要なものなのです。これは大変ポジティブな気づきなのです。そのフィルターを通して見る世界は、すべてが恐ろしく見えると気づき、だから「私は嘘をついたり騙したりやっつけたり…様々なことをしなくちゃいけなくなり、正常な動きができなくなるのじゃないか。」と深く目覚め、気づけるのです…。

しかし、そこで分離から負けず嫌いを信じている人は「オレは正常だ。オレは大丈夫だ。平気なんだって言え!」というふうになってしまいます。当然のことです。そこが、自らの不利な制限を見たり、気づいたりする上ではとてもマイナスです…。

そして、分離感の強い方にマイナスだとその人達に伝えたとしましょう。そのようなとき、勝ち負け感の強い人は「オレを今悪く言ったな!」と、残念ですがそう怒ってしまいます。

ですから見る力がない、フィルターを取り除く力がなくなってしまうという、そんな不利なことが起き、最大にマイナスとなってしまうのです…。ですから、まず一番大切なことは、私が想うに、これは、そのような自己啓発というのでしょうか、「自分を観る」というものを、
長年とことんやってきた者として、またトレーナーとして、もしそれについて語れとあえておっしゃるなら、勝ち負け・競争・ケンカ(分離感)こそ、人類の苦しみの問題の最大のもので、まず最初にそれを落とすことが何より大切であると、お伝えしたいです。負ける練習、恥かく練習、バカにされる練習、笑われる練習、分離的現実感を弱める練習が何より大切で、それですべてがOKとなるのです。自らが負けるとか、ダメとかを許す、(無我)という状態をまず創る。そうしますと自分がどうなっているか今度は見ることができます。そうしたら、「ああ、なんだ、塀があるじゃないか。恐れのガラスが仕切っちゃってるじゃないか。この素晴らしい美しいスピーカー、オレの素晴らしい音色のスピーカー、万物からもらってきた最高の才能、叡智、最高の美が鳴らない。自分の前に怖かったネガがあり、お父さんやお母さん、あのケンカ、戦い、ありとあらゆるものが恐れのフィルターとなって、そこからしか世界が見えてないじゃないか!それじゃ、オレは何をやってもきっとうまく行かないぞ…」「それを外すために生まれたのだ。それこそ生きる最大のの目的だ…」「そしてその恐れから行動すれば、オレの中にある天から、オレの中にある神から、愛から叱られるし、自分の中にある良心から、早く目覚めろというメッセージが来てしまう…。そしてそれを越えるために、自分は生まれたんだ。そのためにあの家を選び、人生を選んだんだ。そこの覆いを取るために、その塀を取り除くために自分は一体性に未知に、神秘に目覚めるために生まれたのだ…。」と…。

そしてその恐れの塀を取り除く、その覆いを取り除くのに一番大事なことは、「そうなっている」という気づきなのです…。朝からそうなっている。朝起きたときからずっと、人と会う時そのフィルターを通して会っている。それにつくづく気づくことは、素晴らしいことなのです。それをやめてみよう、非日常的な、普段とは違う、自我らしくない、自分らしくない行動をしてみよう、それを取り去って、晴れ晴れと一体性から、安心から、ポジティブから行動してみよう。実はそれこそが素晴らしい本当の成功の法則であり、それこそが本当の愛の法則であり、繁栄の法則なのです。花咲かじいさんの法とはそのことなのです。この世の中に、成功の法則のように言われているものが沢山ありますが、私はあまりそれを信じられません。なぜなら、覆いがかかったままの方が、何をその上から身につけても、うまくいかないのではないでしょうか。その恐れのフィルター(壁)がついたまま行動する人の行動というのは、ほぼ自動的にネガティブなパターン化をし、事をネガティブに導き、引き寄せ、決定してしまうからです。ですから、その恐れから生まれるフィルターを気づきによって取り除いてからなら、様々な成功の法則の手法の効き目は素晴らしいかもしれません。しかし、そのフィルターを取り除いて生きれるなら、それだけで素晴らしい成功なので、素晴らしい事、いい事しか起きなくなると私は感じます…。

まず、自分にかかっている、壁となっている、塀となっている傷、トラウマに精通し、そこからつくづく気づくことの素晴らしさによって、外して生きる機会を日々増やしてゆくことが、何より大変力強く美しき叡智です…。そのことイコールが、実は成功を引き寄せる真の法則であり、繁栄や持続可能な、千年続く、とわに続く、持続可能な幸せや成功や繁栄の法則であると、私は感じてなりません…。ですから、誰もがそこに気づき、実践することです。毎日、自分がそうなっているぞ、またそうやって見ていないか?自分はそのようにここで行動するのじゃないか?

そのような気づきがある時、要は人の事を見てる暇がありません。自分のことを見て、「またここで嘘をつくのじゃないのか?またここでごまかすのじゃないか?乗っ取られて話を聞いていないのじゃないか?またここで自分は逃げるのではないか?なぜならあの恐れのフィルターで世界を見ているからだ。よし!ちょっとやめてみよう。1時間でも、10分でも、5分でも、やめてみたらその非日常的な行為自体が成功を招くと聞いた。試してみようじゃないか!例えばこの機械が病気を良くするものだとするなら、試してみて、実験してみて、それを調べてみようじゃないか!」というのと同じように、試してみることが大切だと気づいて、外してみる、そこから行動する。

そのとき何が起こってくるか…外すだけでも素晴らしいことで、それこそが真の成功だと私は断言したい想いでいっぱいです。

そしてそのとき何より大切なことは、勝ち負けからの自由です…。分離感を超え、勝つ必要がない時、初めて自分の問題点に気づくことができ、自由に真実に気づくことができるゆえに、そのときこそトラウマからの自由があるのです…。

MARTH
2019年5月29日

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