Q & A 勝ち負けと分離の問題について:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

Q & A 勝ち負けと分離の問題について

MARTH
公開日:2019-07-23 03:55

Q:MARTHさんは、「勝つな、すごくなるな、えらくなるな、小さく生きろ」というようにお父さんに習ったと聞きました…。それは分離の問題と関係があるのでしょうか。


MARTH:当然あります。最大にあるのです。なぜ彼らがそのように言ったのか…。それは、分離してしまったら人生が台無しだからです。一体の世界の中で、愛の世界の素粒子の海のなかで、すべてがつながった一体の、そして未知で神秘でとてつもない、はかりしれない、神の夢のような、ジャスティスのある公正な愛の夢のような素晴らしい場の世界の中で、なぜ一体である愛を、他と見える本当は一体であるものに勝つために捨てなければならないのでしょうか…。ですから、素粒子また電子レベルでは人に勝ったり、まさろうとしたり、良くなれ、すごくなれ、ということは、逆に一体の愛を破壊することでもあり、その自我の野心は「なれない恐れ」により反対のものを生むことになるのです。それを、古代の人は「バチ」と呼びましたが、それは警告またメッセージでもあるのです…。そうならないように、一体性の愛を失わぬように、勝たないように、偉くならないように、私は自分の子どもにも、小さな名前をつけています。偉くならない、すごくならない、地位や名誉もいらない、しかし、それゆえに恐れを物質化することなく、ちゃんと本物を得られるのです。本当の豊かさもそこにこそあるのです。本当の愛しさや正しい仲間も、全部そこにいるのです。そうでなければ、自分と同じように分離し、戦い、恨み、憎しむような人たちと出会ってしまうことでしょう…。彼らはまだその美しき法を知らないだけなのです。愛の仕組み、素粒子の仕組み、一体の仕組みにもまた気づいていないだけなのです。真の宗教性というのは、そのことを学ぶことです。一体である世界を学ぶことでもあるのです。人類で言えば、量子力学的なことを学ぶことです。一体であり、未知であり、神秘である。この世でない、現実でない、ということを…。ですが、何より大切なことは愛の現れ、素粒子のことです。分子が腐敗、酸化しても残るもの。永遠に電子的な、素粒子的なものです。心と呼ぶものや、考えと呼ぶものは、電子なのです。レコーディングにも電子が使われるように、脳の中で動く考えや、心と呼んでいるものは、電子の海へ続くのです。いや、素粒子の海なのです。それはすべてと一体です。すべてとつながっているのです。だから何より大切なのです。一体性を守るために、人は人をやっつけたり、他と見える人に嘘ついたり、騙したり、悪いことはしないのです。そのようなことをして、一体な愛を失う必要があるのでしょうか。愛の子どもたちが、神の子どもたち、万物の一部分が、なぜその大切なものを失わなくてはいけないのでしょうか。その一番大事なものを失わないために、愛ある人はゆるしたり、攻撃をやめたり、猜疑心をやめたり、自我の自惚れや野心を捨て、不安や恐れを考えることをやめるのです。

不安や恐れを考えたら、それが深い深層心理的なものであれば素粒子的に現実化します。そのようなことをして、自分の人生を台無しにする必要はないのです。「ああなっちゃうんじゃないか、こうなっちゃうんじゃないか」という自我の不安や恐れは、それを創ってゆくこととなってしまいます。そのようなことをしてはならないのです。一体性や愛を失いたくないのです。それこそが、とわに続く本当の自分の質であり、自らの本当の姿だからです。万物の一部分、愛の一部分、神の一部分、いや、それそのものであるのです…。

MARTH
2019年7月22日

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