Q & A 決して愛を捨ててはならない
Q:MARTHさんに質問します。
自我というのは、ダメなことばかりなのでしょうか。
何か良い点もあるのでしょうか。
MARTH:
自我というものを分離的エゴという風に訳するのか、全体を担う自らというように訳するのかでだいぶ違ってしまいます…。
以前細胞の話をしたように、それぞれが全体の部分を担っている、万物の部分をそれぞれの部分が担うという意味においては、その部分は大切なものでしょう…。そして、それを保つということによって、万物の大切な一部であるところの細胞が守られるということ、ムダな危険におちいらないようにするということは、とても大切な機能です…。
もし、万物の一部分がパイロットになっていたとしましょう…。
運転している時に意識を失ってしまったら、自我を失ってしまったら運転ができなくなってしまいます…。
そう言った意味で、五感があるということは、また自我意識があるということはとても大切です…。
しかし、自らを全体から分離したものだととらえた自我は、共に生きるとか、全体のために、また、共に動くというような、本来万物の子であるという感覚を失います…。
そのことが、とんでもない問題を生んでしまうかもしれないとお伝えしているだけにすぎません…。
もし、万物の大切な部分である自我が分離化してしまうと万物はビックリして元に戻そう、戻そうと、全体とのつながりがないととらえる部分に対して、「教えよう!伝えよう!」とすることでしょう…。しかし、その万物が教えようとするときに、言語が使えません。
となるとどうなるのでしょう…。様々なメッセージを送らざるをえなくなり、「おいおいおい、お前は万物の一部だぞ、全体の一部だぞ、何仲間と、一体物と戦っているのだ、何一体物を騙しているのだ、一体物から盗んでいるのだ」というようなメッセージを、言葉でなく伝えようとします…。
そのようなことが真実かどうか、みなさんは自分の人生で試すことが可能です…。本当にメッセージが来るのかどうか…。それはそれぞれが試すことです…。
そしてあらゆる王侯貴族が、また、あらゆる成功者や、あらゆる企業のリーダーたちが苦しむという話を前にも致しました…。ひとつ例を挙げると、秦の始皇帝です…。おそらく、秦の始皇帝は古代ユダヤの子孫にあたるのかもしれません…。古代ユダヤの人々は中東において囚われ、奴隷の目に遭い、また、大変な苦しみの中で東に逃げた、と言われています…。その時にそのリーダーであるイザヤナギットと共に東の果ての地に行けなかった人々も沢山いたわけです。それがシルクロード近辺に沢山残ったかもしれません。そのなかにおいて秦の人々は中国の周りにジプシーのような遊牧民として暮らしていた氏族だったのかもしれません…。そして、その一帯は騎馬民族の支配する危険な地で、彼らは暮らしたことでしょう…。大変な危険と苦しみの中で、奴隷からやっと開放されて東へ向かったけれど、途中でそのような場所に住み着かざるをえなくなり、大変危険な地域なので集団で身を守るしかなかったかもしれないのです…。ですから、その民(たみ)の男の子たちはみなその恐れから強くなってゆくでしょう…。おそらくそれが、秦の始皇帝の先祖にあたるのではないかと、私は聞いています…。
その戦いと競争、分離の中で、へだたりから生まれる悲しみが強くなっていってしまった方々とはそのようなものであることでしょう…。そして幸せにとって大切な一体性である愛を失っていってしまったことでしょう…。当然、同じように自我の危険の中、一体性を失って、愛を、そして人の本質を信じれなくなった、ケンカと戦いの民族がたくさんいて、襲われたり奪われたりもしたでしょう。そこでも戦わなくてはならなかったです…。
そして分離の戦いに強くなったその秦の集団は、中国のその当時の王が騎馬民族に滅ぼされそうになった時に救済したそうです…。
その中国の王に、助けたことで大変に感謝され、そして、大変な大きな領地をもらい、大きな力を持ったそうです…。それが秦の始まりだと言われています…。
そしてその王子として生まれた始皇帝は、若くして王座についたそうで、その苦しみの日々は未だに言い伝えられています…。幸せにとって大切な愛を失った民やその子どもたちは、地位や名誉、ケンカや戦い、競争、分離を信じた人々の中で苦しい幼少時を送りました。実の母からも殺されそうになったのです…。弟達も殺しました。そして、そのような人々に囲まれて生きていたのです…。戦いに勝つだけが生き残るすべだとも信じました。人とは子どもの頃の価値観で人生を決めてしまうところがとても強いのです…。そして彼は最高の弓矢、最高の矢じり、最高の剣を生み出しました…。ですから、同じ人数なら必ず勝てる、そのように思ったかもしれません…。そのように勝ち負けを信じ、考え、分離感の中、彼はその考えの元にすごく強い軍隊を作りました…。それによって当然、一時的に彼は天下を取ったのです…。
そして、そのような部分の成功話がもてはやされ、歴史に残ります…。そうすると、他の人々も「よし、天下を取れるぞ!えらくなれるぞ!すごくなれるぞ!」企業でもそうです…。「上場できるぞ!すごくなれるぞ!勝てるぞ!」
そこまでは、誰でもできる、いや、そうとはあえて言いませんが、それだけの力があれば可能なのです…。苦しくても必死にがんばります…。しかし、それは分離の力であり、恐怖と野心、悔しさの推進力なのです。愛の力ではありません…。そして、一時的に天下を収めます。
さぁ、そこからどうなるのでしょう…。一体性である自らの大切な愛を失ったリーダーが天下を取るわけです。本質で生きれないリーダーが上場するとしたら…オーナーとなったら…。戦いを信じた人々の苦しみを持って、そこまではよかった。そして、1000人、1万人、万物の子であることを忘れてしまった悲しみの万物の子、1万人、10万人と部下に持つのです…。当然自らも、幸せややすらぎ、輝きのもとである愛を忘れたリーダーです…。
愛を忘れた部下たちと、愛を忘れたリーダー…神の一部であるなどまったく信じなくなった神の子たち、不平、不満、戦い、闘争です。裏切られます。苦しみです。その恐怖です。
そして、自分が作った王国に侵入してくる敵たちです。奪おうとする者たち、地位や名誉、権力、恐怖心、またお金だけの付き合い、欲望だけ…その上、他国の民族が同じようにケンカや戦い、地位や名誉、奪い合いを信じて攻めてきます…。これが、大王たちに、リーダーたちに起こったことです…。部下たちの裏切り、他国の侵入、どうやって守るのでしょうか…。それが始皇帝にも起こりました…。さぁ、これは始皇帝だけの問題ではありません。信長にも、アッティラ大王にも、アレキサンダー大王にも、あらゆる大王、あらゆる上場企業に起きるのです。あらゆる社会に、あらゆる世の中に、愛のない世界にはそれが起きます…。かつ、すごくなる、偉くなる、そして分離します、競争します、戦います、奪い合い、頭を使います、騙します、嘘をつきます、裏切ります…。必ず滅びます…。表面つら、疑心暗鬼、苦しみ、不安の日々を送ります…。
どうでしょうか。
極端なことを言っている、と思われるかもしれません。そのとおり、あなたは正しいです。私の話を聞く必要はまったくないのです。しょせんMARTHのたわごとだ、で良いのです。ただ、反対に、戦わぬように育つ子どももいるのです。決して分離させない、決して愛を捨てさせない、決して自己拡大を許さぬ親もいるのです…。決して愛を捨てさせないという親たちも…。なぜなら、そのような分離を信じたら滅びてしまうと知っているからなのです…。何があっても他を滅ぼしてはならない、他と戦ってはならない、人を傷つけてはならないと…。そのように生きれば、とてつもないやすらぎや美しき本来の生や繁栄を失う、と習う子どももいるのです…。万物の輝きが台無しだ、裁判などしてはならない、ケンカなどしてはならない、戦いなどしてはならない、人をおとしいれてはならない、そうやったら滅びてしまうのだ、この世界は愛でできている、神々で出来ている、お前はその一部だ、お前は愛の一部だと育つ子どももいるわけです…。
どちらにしても、その価値観は代々と継続してゆきます。どちらを選ぶことも自由なのです…。
そして、愛を持って生きなければと習った子どもが、この分離した世界を目にした時に、そのように見えるというたわごとでしかないのです。そんなこと信じなくても良いのです。ただ、もし、何かが響く方がおられるなら、参考にしてくださればよいと想っただけなのです…。
MARTH
追伸
この世界には、分離感の恐れの中で質問もできない、負けられない、やすらげない、共に生きれない万物の子、神の一部である悲しみの子どもたちが、沢山大人になって暮らしています…。
それこそが、本当の悲しみであると感じてなりません…。
すべての人が幸せを取り戻すには、あらゆる人々が本当の自らの質に戻るというチャンスを取り戻せたら良いとつくづく願います…。
本当は元から一体である私たちは、決して抜きに出る必要もなく、決して勝つ必要もなく、良くなろうとする必要のないことに気づき、それゆえに真に良くなり、美しくなり、幸せとなるために、人々は新たなる世界を生み出すのでしょう…。
MARTH
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