Q;どのような意図で、 間奏やコーダでも歌っていらっしゃるのでしょうか。
質問:MARTHさんにお尋ねします。
今回のステージを見させていただいて、感じたのですが、何かスペインとかラテン的な、うなりのようなものをMARTHさんがしているように感じました。それはどのような意図で、間奏やコーダで、そのように歌っていらっしゃるのでしょうか。
MARTH:
たしかにおっしゃる通りです。私のイントロや間奏やコーダは、とても長いのです。それは私自身が創ることがほとんどです…。普通のジャパンポップスのように短い間奏やイントロ、コーダではありません。そして、私はそこで昔から、うなってみたり、ラララ…等の歌詞のない歌を歌います。
それは即興でなされるのです。しかし、それはラテンの形ではありません。ある意味古代ユダヤを表現しているのかもしれません…。古代ユダヤというのは昔アシールという、今で言うサウジアラビアのところに、本当のエルシャロームがあったそうです…。イザヤさんがそこを去ってから、今のイスラエルにその地は移動したそうです。そもそも、古代ユダヤの人々というのは中東の人々です。そして、今お話しされたスペインやイタリアは、その中東のイスラムの文化とキリスト教の文化が混じり合っています…。アルハンブラもイスラムの寺院であるように…。その空気感やそのサウンドは、私が創った今回のイントロや間奏も、そのような古代ユダヤの想いを表現したのかもしれません。それはある意味“悲しみ”です…。愛でとわに生きれぬ人類の痛みと悲しみなのです…。しかし、この世界の真実は、決して悲しみではなく美しき未知なる一体のとわなるところなのです…。そして今世界に、その深き愛を持った、明確な純粋な古代ユダヤ人がどこにいるのか…そう見たときにはやはり隠し続けてきた日本に多くいるのではないかと感じてなりません。それは、島国だから守られてきたのかもしれません…。そして彼らに使命があるとすれば、すべてがひとつで一体で、あらゆるものがそれゆえに違っていてよく、それゆえに美しく、それゆえに愛や本質を伝える使命を持ち、それぞれ違った部分を担うということ、そしてとわにひとつであり一体であるということを感じ、伝え、様々な文化や国や文明があっていいということを伝えて生きることに、他なりません。そして、みなが一体であるということ、それゆえに傷つけられても決して傷つけない人々、なぜなら愛の子どもであり、神の子どもである、すべての人がそうであるからだということを伝えるのが、その古代の民の使命ではないかと感じます。今回のステージは、そういったものをこめて、試みたわけです…。
うまくはできていないかもしれませんが、そのような想いだけは、そこにこめられているのです…。
MARTH
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