Q & A 私達が生まれてくる意図とは 第一章:ストーリーズ:MARTHのLast Resort

Q & A 私達が生まれてくる意図とは 第一章

MARTH
公開日:2019-06-16 01:41

今回のQ & Aは、1〜3章に分かれています。

第一章


Q:MARTHさんは、この世界が素粒子や電子と呼ぶような本当は未知なもので出来ていて、すべてはそれによって生まれているとおっしゃっています…。そして、それゆえにそれがすべて同じものであるゆえに、科学的にも一体であるということだ、とおっしゃられていると想います。私は科学の教師をしております。そのあたりのことがとても興味があります。もっと詳しくお伝えいただきたいのですが…。


MARTH:先生がおっしゃるように、すべては一体で、すべては素粒子の海、すべては電子によって出来ている…といって良いでしょう…。私は霊的なものもすべて、電子的なもので出来ていると感じています…。電気というものは腐食酸化をしません。ですから、ある意味永遠です。

電子は永遠である。そう捉えても良いのかもしれませんね…。

私達の本体が電子で出来ている以上は、本当の私達も永遠であるということに他ならないでしょう…。しかし、電子に帰った(人はそれを死と呼ぶ)私達の生活がどのようなものかは、未知のままではあることでしょう…。

そして、その電子が劣化するということはあり、それを人類はエントロピーの増大、または、還元の反対ということになります…。酸化というのは、ある意味、そのこととなるでしょう…。電子は、原子核を回っています…。その回るスピードや、またその描く円の精密さは、その電子の動き、波形、出入り、そのようなものはとても分子にも影響してゆきます…。

そしてこの地上の見えるもの(分子と呼ぶもの)に影響してくると考えてよいでしょう…。そして、心の病気や、身体の病気も含めて、劣化してゆく軌道、出入り、そのようなところから、そのメッセージは生み出されてゆくということこそが、これから人類が研究してゆく大切な部分であることでしょう…。

今まで人類は成分分離科学を200年ほど続けてきました…。

古代においては、量子、素粒子、またエーテル、アストラル、そのように古代は、もっと細かいものを研究した中から生まれていた、量子力学に近いものであったと思われます。それは、誰もここがどこかを決めて(名付け)ていなかったからでしょう…。

そして古代の人々は、それが一体であり、愛であるということを掴んでいたと想われます。そして、それと同時に自らが出てきた場所が未知であり、神秘であるということもしっかりと気づいてたことでしょう…。そこから生まれた科学は、非常にレベル(リアリティー)の高いものです。簡単にそれを伝えるとすれば、現実ということをベースに科学が生まれている成分分離科学と、一方でこの世界は現実ではない、とてつもない未知で神秘で一体である、といったことをベースとした科学、それが量子力学的なものになっていったと考えられます…。

宇宙人のことを見ても、それがあるかないかという議論よりも、あのようなUFOというようなもの、あのようなものを創れるということは、間違いなく量子力学、この世でないということを理解した人たち、というように理解してよいのでしょう。そうなってくると、彼らがもし存在しているとしたら、それだけの知恵、一体である、愛であるといったリアリティーを知っている、量子力学に近い、電子の理解に達した人々であるということになります。何百万光年を一瞬で移動することを可能にするのであるとすると、プラズマ的要素である、この世でないということを理解していると言えるのではないでしょうか。また、すべてが一体物で出来ているということも理解し、それゆえに、もし彼らがいるとしたら、きっと愛だと私は感じてきました…。

そして、この地界は一種の物質映画的なものであるとも伝えてきました。要は、その電子が行ったり来たり、原子が消えたり現れたりを激しく繰り返しているというところからすると、この世界は現実ではないともいえ、一種の物質映画である、というように捉えられます。では、なぜ物質映画があるのか、という問題です。

一例を挙げるとして、電子の海はそれぞれ、沢山のこの万物全体を自らの子によって営もうとし、この物質映画の楽園を美しく動かしてゆくために、様々な役割を子に託したいと願い…。その子たちはその役割を担って出てくるとしましょう。しかしその中で一体であるとか、未知であるとか、神秘であるという事実からかけ離れた分離の価値観(自我)を強く持ってしまった万物の一部分の子ども達は、リアリティー(愛)を失ってもなお、それでも神の子であり、または愛の現れ、なんと呼んでも良いのですが、そのような電子の海、万物の創造、神の夢、天、その子たちであると理解したらどうでしょう…。

ですから、私達が生まれてくる意図は、一体に気づく、未知や神秘に気づき、みなで共にその役目に気づいて楽園を生む、楽しむ、幸せをかみしめて、生み出してゆく、そのために生まれる、そして、それがエゴ社会、分離社会から比べると、非常にかけ離れ、難しい問題となるのです…。エゴ世界は分離を信じていて、現実というものを信じています…。そうすると愛(リアリティーである一体性)を失います…。そして愛を失ってしまうと、真実を失ってしまうとも言え、目覚めてほしいと愛の電子たちは様々なメッセージを送ることでしょう…。

万物からというよりも、その本人が万物であり、その神の電子そのもので出来ていて、愛の現れと呼んでも良い、それで出来ている肉体を持ち、その人自体が神聖さであるわけです…。誰もが神の素粒子であり、電子と呼ぶ未知なる一体なるもので出来ているゆえに、間違った価値観で生きるなら、そこに戻そうとするメッセージが来ます。

そのように捉えたらどうでしょうか。ですから、この地上に生まれてくる意味は、そのような分離が嘘であることに神の子ども達が目覚めるため、また、神の夢、天の創造、なんと呼んでもよいですが、美しき世界を生むための一種のトレーニングの場であるというように捉えても良いのでしょう…。

様々なつらいことや苦しいことが起こってくるのは、そのような一体性に気づいていない念望や野心であり、未知や神秘に気づいていないというような修正のメッセージであるからでしょう…。逆に言えば、そのようなことが、それぞれの子達へメッセージすることで、自分が真実(一体性・未知・神秘性)真理から離れてしまうとメッセージが来る…それは当然なことでしょう。

一体であるのに一体でないと信じ込むこと、未知や神秘の中にいるのに、現実だと捉えること。そうなると恐怖と化すのは必然です。怖くなる、苦しくなる、つらくなる…。ですから、私達の目的は、みなで真実に目覚めて、本質に帰ってゆく、それが真の覚醒であり、真の悟りであると私は感じてなりません…。ですから昔から、未知や神秘、一体であることを音楽を通してずっと伝えてきましたのも、そのためであるのです。それが、私達の真のゴールであると感じ、そこから先は万物の一部としてみなで力を合わせて、素晴らしい幸せな世界を創ってゆく、愛の世界を創ってゆくことではないのか、そのように捉えています。そしてそのときには、人々の苦しみや闇、人々の自我(分離から来る恐れ)から来る野心、念望が少しずつ信頼に変化し愛へと移行する、安心や喜びがあふれだす、あらゆる幸せが生まれてくると、私は感じています…。


MARTH
2019年6月15日

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